問わず語りの...

流れに任せて

節分に撒く豆は落花生

2023-02-04 04:50:12 | 歴史、民俗

昨日は節分でした。

 

 

節分に撒く豆は大豆、が常識だとされているらしいですが

 

 

いやいや、そんなことはない。

 

 

 

東北では、節分に撒く豆は

 

 

【落花生】

 

 

と決まっている。決して大豆ではない!

 

 

スーパーなどでも、節分用の豆として普通に落花生が売られており、大豆など影も形もない。それが東北の節分の

 

 

普通な風景。

 

 

奥州藤原氏の拠点、平泉に建つ古刹・中尊寺の節分会で撒かれる豆もやはり、落花生です。

 

 

ことほど左様に、東北では節分に撒く豆は落花生と決まっている。決して

 

炒った大豆ではないのです。

 

 

ところ変われば品変わる、ではないですが、常識なんてえものは、地域によって偏りがあったりするものです。

 

 

どれが正しいとか、ではない。

 

 

ただ違っているのだ、ということ。

 

 

 

出口王仁三郎氏によれば、大豆の炒り豆を撒くというのには、「ノロイ」が込められているのだとか。

 

それは「炒った豆が芽を出すまで出てくるな!」というノロイで、煎ったというのは普通は芽を出さない。つまり、永遠に出てくるな!というノロイなのだそうな。

 

 

遠い昔、悪神たちがある偉大な神を封じ込め、二度と出てこないように掛けた「ノロイ」。

 

それが大豆の炒り豆を撒くということであり、「鬼」とは悪神どもにとって、鬼のごとくにとても怖い存在である「大神」という意味なのだと、

 

 

出口王仁三郎氏は解説しているそうな。

 

 

 

信じる信じないは、あなた次第…ってね(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

さて、「ノロイ」とは漢字で書くと「呪(しゅ)」ですが

 

 

「呪」をノロイとみるのは、一面の解釈に過ぎません。別の視点から見れば

 

 

「呪」は【コトホギ】となる。

 

 

ある視点から見れば「ノロイ」となるものが、別の視点から見れば「コトホギ」ともなる。まっこと

 

 

陰陽は表裏一体のもの。

 

 

炒った大豆からもし芽がでたら

 

 

 

こんなめでたいことはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

ところで、落花生の殻を取った中の豆は、ピーナッツですが

 

 

ピーナッツというのは、上手くやればおよそ60%くらいの確立で「芽」を出すそうです。

 

 

つまり東北では、端から「ノロイ」、「呪」など掛けられてはいないわけです。

 

 

東北では、「いつでもどうぞ出てきてください」という意味で

 

 

落花生を撒いている?

 

 

 

妄想が過ぎる、かな(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

かつて、悪神どもに幽閉された偉大な神は、どこに閉じ込められたのか。

 

 

それは方角で言えば「鬼門」の方角だそうな。

 

 

鬼門とは北東方向、つまり

 

 

東北なんですよねえ。

 

 

 

なんだか、面白いですねえ。

 

 

 

 

 

 

陰陽座『羅刹』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに、岩手県の「岩手」って、鬼なんですよ。

 

 

県名の由来に鬼が関係している。この鬼って一体

 

 

何者、なのでしょうねえ。

 

 

 

鬼じゃ、鬼じゃあ!

 

 

 

コメント (4)
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