トーキョー改め雪国独り言ライフ

地元・伊豆白浜を離れ、東京で12年間を過ごし、雪国・新潟に引っ越したナオミのひとりごとです。

稽留流産と処置の記録!

2013-05-15 | ひとりごと?
なんか、自分でも忘れそうなのでこちらに書いておきます。

3月下旬から5月8日まで、私、にんぷでした!
でも、今はにんぷじゃありません。
残念ながら、流産してしまいました。
もう処置(稽留流産の)もして、今は元気です。

4月末、出産予定日を正式に判断する診察に行ったら、
前回確認できた心拍が止まってしまっていました。
心拍確認できたからちょっと安心だ~と思ったけど、そうじゃなかったみたい(^^;)
その二日後にまた確認するのできてくださいって言われました。

流産したってことだろうな~と冷静に受け止めたものの、
その日は寝る前にだけちょっと泣きました。
「15%」に入ってしまったんだ~とか、
今年、地元の仲のいい友達や後輩数人が出産ラッシュで、
同級生だ~!とすっごく嬉しかったのに…とか。
もう成長してないんだ…とか。

それからネットで検索したら、稽留流産のオペ(処置)した人ってすごく多くて
たくさんの方の日記を見させていただきました。
私だけじゃないんだ…というより、本当に頻繁にある事なんだ、と実感して。
妊娠して、無事に安定期に入って、無事に出産するということは、
本当に奇跡の連続なんだと、改めて思いました。

本にも「初期の流産は染色体異常」と書いてあったから理解はしていましたが、
診察時にも「これは奇形ということだから。最初から、ここまでしか成長できない赤ちゃんだから」と、
先生やナースさんに「あなたのせいじゃない」「自分を責めないでね」と言われました。
言われなくても、私、自分を責める気持ちは生まれてなかった…。
薄情かもしれないけど、でもだって、責めるようなこと、してないんだもの。
それでも言うってことは、自分を責めてしまう方が多いということなんだね。

で、確認の診察でもやっぱり心拍が動いてないということで、
五月の連休明けに流産手術することにしました。

つわりもちょっとあったので、今回の連休は何も予定を立てず…。
(旦那だけが友達と遊ぶ毎日に、ちょっとイライラしたり。)
つわり中は調理中の匂い(食材の匂い?)がダメだったので、
ほぼ毎日お義母さんがオカズを作って旦那が持ち帰ってきてくれました。
流産が分かっても、つわりはちょっと軽くなる程度だったので、連休中もだいぶお世話になりました。
お義母さんがいなかったら、私どうなってただろう…《゜Д゜》

オペは日帰りでした。
前日の午後9時から絶飲絶食。
水も飲めないって言われると飲み溜めしたくなる(笑)
飲みすぎて、おなかタプタプで、なかなか寝付けませんでした(^^;)

翌日は午前8時までにクリニックへ。
旦那ちゃんにお仕事休んでもらって、送迎してもらいました。
今回通っていたクリニックは、隣町の長岡市にある個人産院です。


8時すぎ、患者服?簡易浴衣みたいなのに着替えてから、
血圧とったり熱計ったり、手術後の生活の説明があり、子宮口を広げる処置。
当日の子宮内の赤ちゃんの確認はしませんでした。
処置は、ラミナリア細を2本って言ってたな~。
これが、ネットだと「痛い!」って人と「思ってたより…」って人がいましたが、私は前者(笑)
そもそも、普通の診察でも「クスコ」が痛いと思ってたので、
「う~!」と踏ん張ってしまいました。リラックスとかできない…。
「あ、これで痛いってことは、私、産めねぇわ!無理!」と思ってしまうほど(笑)

処置後は特に出血もなく、痛みもなく、分娩室(兼手術室)前の陣痛室で待機。
前日あまり寝られなかったので寝ようと思ったのに、目が冴えちゃって寝られない。
ずっとテレビを見てました。(旦那ちゃんはご飯を食べに吉牛へ。)

10時半ごろ、点滴開始。
処置30分前にお尻に筋肉注射しますから、と言われる。
採血は好きなんだけど、注入はホント苦手だ。しかも筋肉注射(´;ω;`)
11時半に、尻に注射…痛かった゜(゜´Д`゜)゜
旦那はこの時点で「面会はここまでで…」と外に出される。
駐車後、トイレ行ってくださいって言われたけど、水分とってないから出ないんですよね~(笑)

トイレ行ったら、いよいよ手術室へ。
お初にお目にかかる、分娩室。
タイプが異なる分娩台らしきものが二つ並んで、カーテンで仕切られるようになってました。
私は入口側でした。もし誰か産気づいたら、並ぶのか!とドキドキしたり(笑)

パンツを脱いで、しばらく分娩台に仰向けで寝ていましたが、
12時5分前位に、両足を開いてマジックテープで固定されました。
先生到着して12時に点滴からの静脈麻酔が始まりました。
数を数えてくださいってことで、「い~ち」を2秒ペースで数え始めます。
10のうちに意識がなくなるかな~と思ったのに、
目の前がぼやけてきたのは「26」あたりで、
「30」で目を閉じ、「31」を言ってから記憶は遠のきました。
初めての全身麻酔、超不思議な感じでした。

それからぼんやり…うっ!と吐き気を催し、右向きに頭を傾けて3回ほど吐いたような…?
気づいたら下腹部のすっごい痛みがおそい、
「いたたたたた…!」とうなって、両手で下腹部を「の」の字にさすっていました。
子宮の痛みか、腰の痛みか??よくわかんなかったけど。
看護師さんが「大丈夫?痛い人は痛いみたいだけど…」と声をかけてくれました。
「腰が…」と訴えると、横に向きを変えてくれたので、徐々に楽になっていきました。
時計を見ると、12時20分。
え…20分しか経ってないの?!Σ(゜д゜lll)
友達の話だと、1時間後くらいに目覚めたとか。
その子は目覚めても痛くなかったらしいので、目が覚めたのが早かったから痛いのかな?と言われました。

「私、吐いてましたか?なんか3回くらい吐いた夢を見たような…」と看護師さんに聞くと、
「夢じゃないんだな~(笑)でも、吐くって言っても(胃に水分も無いし)えづく感じかな」とのこと。
麻酔からの目覚めは最悪でした(^^;)

それから、「う~~~」とうなって20分弱。
ようやく立てそうだったので、看護師さんの誘導で、陣痛室へ移動。
痛みは引いたものの、寝つけそうにない。
喉も乾いたので「水はもう飲んでもいいんですか?」と聞くと
「まだ麻酔が切れてないから、もう少し待って、トイレに行けるようになったらね…」と言われたので我慢大会続行。
15時間以上も飲んでないなんて、初めてだ…。

午後2時頃、旦那ちゃん登場。
処置が終わって、ケロっとテレビ見てる私に「え、もう終わったの?!」と驚いてました。
トイレは2回ほど自力でいけてたんですが、看護師さんからOK出たら水飲むか…と15時頃まで待ったものの、
看護師さん、こない…。寝てると思ってるのかな…。
結局3回目のトイレのあと、自己判断で、持ってきていたポカリイオンウォーターで給水。
実に18時間ぶりの水です(笑)
15時半頃ようやく看護師さんが様子を見に来て
「大丈夫そうなら、ゆっくり支度して帰っていいですよ~」とのこと。
お会計は1週間後の診察時ということで、大体の予算だけ聞いて退院しました。
お腹すいたので、16時という微妙な時間ながら、モス行って食べて帰りました。

3日間は安静、4日目から軽い家事OKとのこと。仕事は7日後って書いてあった。
出血は、量も少ないけど、1週間後の今日もまだ続いてます。
痛みはもうほとんどない。
生理は1ヶ月後位にくるらしいけど、次の生理をみずに妊娠する人もいるらしく
50日たっても来なかったら診察に来てくださいってさ。見送る必要はないらしい。
とりあえず、今日午後に診察に行ってきます。

術後、元気そうな私を見て、旦那家族や私の家族も安心した様子でした。
自分でも「薄情かな?」と思うくらい元気です。
体力なくなったし、お腹の脂肪もたくさんなので、今は動きたくて仕方ない。
ただ、最近疲れてるのに夜寝られないんだよね~
12時前に布団入っても、3時とか4時までゴロゴロしてる…疲れる~
これはホルモンの影響なのかな?

テレビとかで、安定期に入ったタレントさんとか同級生とかが
妊娠の報告をすると「いいな~、私もホントだったら同じ頃に産んでたんだろうな~」と思うことはあります。

でも入院中は「妊婦さん・産婦さん・新生児が妬ましい」的な感情は一切なく、
「奇跡があそこのお腹の中に!」て感じでした(笑)
あっさりしすぎてるんだろうか?お腹にいた赤ちゃんに申し訳ないだろうか?と思うくらい
結構切り替えが早かったです。
「ダメならダメで、早く分かってよかった!」みたいな。
まだ母子手帳ももらってなかったし、お腹にいるという感覚を
味わっていなかったせいもあるかもしれません。

処置後には、リップのファンクラブミーティングの二次募集に早速申し込んだり、
近所でやる夏フェスのチケットも申し込んだり、
久しぶりの料理に張り切ったりと、妊婦ではできなかったことを逆に楽しむぞ~!という感じで
すっかり元気になっております。
この話だって、私は振られてもムカつかないから大丈夫。
進んで誰かに言いふらされるのは嫌だけど、
腫れ物に触れないように…ってされるのも逆に「それほどじゃ…」て感じ(笑)

ということで、当面の目標は、体力・免疫力作りと減量!
せめて結婚式当時の体重まで戻すぞ~!
8Kgもあるけど…!!(笑)

『追記』
診察後、会計はオペと合わせて11000円くらいでした。
また、次の妊娠は三ヶ月開けてって言われました( ;´Д`)ナンダヨー

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