蝸牛の歩み

「お話」を作ってみたくなりました。理由はそれだけです。やってみたら結構面白く、「やりたいこと」の一つになっています。

マキャヴェリの手紙

2015-10-11 10:02:40 | 日記
マキャヴェリが、ダ・ビンチにあてて書いた手紙を見つけた。先日イタリアに旅行した時に、旧家に泊めてもらい、文書庫の中を見ていたら偶然見つけてしまった。『君主論』についてのコメントなのだが、ダ・ビンチが亡くなったのが1519年、『君主論』の出版が1516年ごろであるから、丁度間に合ったと言っていい。以下は拙訳である。

 このたび、イタリア統一に関する本を出版することになりました。おそらく、この本は後世の批判にさらされ、手前勝手な引用によって内容を大いに捻じ曲げられることでしょう。

 しかし、あなたと同時代に生きたことを絶大なる幸運と思い、また誇りともしている私にとって、あなたにだけは本心を打ち明けておきたいという衝動に駆られるのです。

 私は、イタリア統一と言う崇高な目的のためには、宗教も、倫理も道徳もその光を失うものと確信しております。

 そして、私は、イタリア統一のために生まれてきたと言ってもいいと思える若者を知っております。名をチェーザレ・ボルジアと言い、残念なことに10年ほど前に神に召されてしまいました。

 私は、宗教も、倫理も道徳も踏みにじってイタリア統一のために邁進すべき人物として彼を念頭においてあの本を書いたのです。そんな資格があるのは彼のみだと言っていいでしょう。そういう意味では私はあの本を出版すべきではなかったのかもしれません。

 私はあの本を一般論を述べるための、たとえば、「目的は手段を正当化する」などといったメッセージを述べるために書いたのではありません。あの本は、きわめてまれな人物にしか許されない行為の正当性を述べるために書かれた本なのです。

 政治家が道徳とは最も遠い地点にいることはあなたもご存じ通りです。それが醜悪な光景であることは、御同意願えると思います。お互いに経験済みの事でしょうから。

 その醜悪な連中によって私の本が引用され、醜悪極まりない行為を正当化するために使われるのは堪えられないことです。

 聖書に手を置いて誓いを立て、その後平然と相手を裏切ることができるのは、選ばれし人間です。

 ただの小悪党が、国家を分裂させ、国民の利益を外国に売り渡し、それがあたかも国益であると騙るような奴らが私の本を利用し、「現実論者」を自称するでしょう。ああ、私にはその光景が目に見えるようです。

 本は、書き終えられ、出版された瞬間から著者とは独立した存在となります。

 願わくば、私のこの思いが後世の人たちに届きますように。