ガード下のちっぽけな屋台を通り過ぎようとした時に、かなり歳のおばあさんが声をかけてきた。
「お兄さん、カレンダー買わないかね」
60過ぎて、「お兄さん」もないのだが、おばあさんの歳から考えれば「お兄さん」なんだろう。
丁度、暇を持て余していたこともあって、ふらっと立ち寄った。
「いくら?」
「払えるだけでいいよ」
現物を見せてくれた。何の変哲もないカレンダーなんだが、どこかおかしい。白い紙に桝が区切ってあり、その一つ一つに、「月」「日」と書いてある。
「変なカレンダーだね」
「自分で書きこむのさ」
「自分で書きこむ?」
「そうだよ、自分で書きこむ」
「今日は、10月30日だけど、10月30日って自分で書くわけ?」
「そう、自分で書く」
「最初から書いてあるよね、カレンダーって」
「そうだよ。だから、これは、自分で書きこむカレンダーなんだよ」
「面倒くさいなぁ」
「でも、やってみると案外面白いかもしれないよ」
「そうかなぁ」
「買ってきなよ。これしかないんだから」
「これしかない」とか、「セール」とか、「ポイント5倍」とか言う言葉に弱い。自分でもわかっている。
「じゃ,買うよ。いくら?」
「いくらでもいいんだよ」
「そういわれてもなぁ」
ポケットの中にはあぶく銭が少々入っていた。
「じゃ、これで」と万札をだした。ちょっとした人助けの気持ちが俺にもあったようだ。
「ありがとさん。大切に使いなよ」とおばあさんは言った。
10mほど歩いて、何か聞き忘れたような気がして振り返ったら、屋台もおばあさんも消えていた。
家に帰った。真っ白い紙が12枚綴じてある。桝目があって、月と日。
手元にあった黒のマジックで、左端のところに、10月25日と書いた。書いた途端に、変な感覚に襲われた。身体が一瞬、ふわっと浮くような。
しかし、もっとすごいことが起きていた。朝になっていた。ドアを開けて街に出てみた。コンビニに入って新聞を買った。10月25日と言う日付の新聞が売り場に並んでいた。わけがわからなくなった。
落ち着け、と自分に言い聞かせているうちに、あることに気がついた。
「レースだ!」
手持ちの金を全部バッグに入れて、駅を降りてすぐの場外馬券売り場に行った。あの日は運が悪かった。ほぼすってんてんになり、5kmほどの道を歩いて帰り、カップヌードルをすすったんだ。結果はほぼ覚えている。よし、今日が10月25日なら、この馬が来るはずだ。たしか、万馬券だった。1万円入れたら、リターンは億だ。
的中した。現金を受け取った。途端にぞくっとしてきた。
やめよう、話がうますぎる。これは絶対におかしい。何か裏がある。
伊達にこれまで何度も修羅場をくぐってきてはいない。塀のなかにも入ったことがある。そこで培われた勘が、「やばいぞ」と言うサインを出してくれている。家に帰った。夕方になるのを見計らって、昨日の場所に行ってみた。おばあさんと屋台はそこにあった。
「これ、返すわ」と言って、昨日買ったカレンダーを差し出した。おばあさんは、しばらく身体をふるわせながら笑っていた。皺が揺れている。涙が出ているようだ。
「あんたは賢いね」
「どうも」
「なぜ返しに来たんだい」
「話がうますぎる。こいつをつかえば、いくらでも金がもうかる。だけど、その代わりに何かを取られる。おれは、何度かそういう目にあってきたし、人をそういう目にあわせてきた。経験知ってやつだよ」
「あんたはホントに賢いね。その通りだよ。等価交換ってやつさ」
「等価交換?」
「あんたは一回やってみただけで気がついた。でもね、そうじゃない奴もいるってことさ。こんなふうにね」
おばあさんは、後ろの方においてあった箱を私の前におき、ふたを開けた。そこには、身長が5cmほどの人形が入っていた。…いや、人形じゃない。人間だ。例外なく、かっと眼を見開き、苦悶の表情を浮かべている。
「もういいだろう」と独り言のように言って、おばあさんは蓋を閉めた。
気になることを訊ねた。
「俺の場合、等価交換はどうなってる?」
「あんたの場合かい」と言っておばあさんは鏡を取り出して私に渡してくれた。髪の毛が無くなっていた。
「これぐらいで済んだんだから、いいじゃないか」
「金を返してもどうにもならないのか?」
「その金で、カツラを買えばいいじゃないか。1億出せばいいのがあるだろうよ」
1億のカツラか・・・それも洒落てんな。
明日の行き先が決まった。おばあさんには、ポケットの中に入れていた金をすべて差し出した。小銭もすべて。
「あったかいものでも食べてよ」
心なしか、数本生えてきたような気がする。
「お兄さん、カレンダー買わないかね」
60過ぎて、「お兄さん」もないのだが、おばあさんの歳から考えれば「お兄さん」なんだろう。
丁度、暇を持て余していたこともあって、ふらっと立ち寄った。
「いくら?」
「払えるだけでいいよ」
現物を見せてくれた。何の変哲もないカレンダーなんだが、どこかおかしい。白い紙に桝が区切ってあり、その一つ一つに、「月」「日」と書いてある。
「変なカレンダーだね」
「自分で書きこむのさ」
「自分で書きこむ?」
「そうだよ、自分で書きこむ」
「今日は、10月30日だけど、10月30日って自分で書くわけ?」
「そう、自分で書く」
「最初から書いてあるよね、カレンダーって」
「そうだよ。だから、これは、自分で書きこむカレンダーなんだよ」
「面倒くさいなぁ」
「でも、やってみると案外面白いかもしれないよ」
「そうかなぁ」
「買ってきなよ。これしかないんだから」
「これしかない」とか、「セール」とか、「ポイント5倍」とか言う言葉に弱い。自分でもわかっている。
「じゃ,買うよ。いくら?」
「いくらでもいいんだよ」
「そういわれてもなぁ」
ポケットの中にはあぶく銭が少々入っていた。
「じゃ、これで」と万札をだした。ちょっとした人助けの気持ちが俺にもあったようだ。
「ありがとさん。大切に使いなよ」とおばあさんは言った。
10mほど歩いて、何か聞き忘れたような気がして振り返ったら、屋台もおばあさんも消えていた。
家に帰った。真っ白い紙が12枚綴じてある。桝目があって、月と日。
手元にあった黒のマジックで、左端のところに、10月25日と書いた。書いた途端に、変な感覚に襲われた。身体が一瞬、ふわっと浮くような。
しかし、もっとすごいことが起きていた。朝になっていた。ドアを開けて街に出てみた。コンビニに入って新聞を買った。10月25日と言う日付の新聞が売り場に並んでいた。わけがわからなくなった。
落ち着け、と自分に言い聞かせているうちに、あることに気がついた。
「レースだ!」
手持ちの金を全部バッグに入れて、駅を降りてすぐの場外馬券売り場に行った。あの日は運が悪かった。ほぼすってんてんになり、5kmほどの道を歩いて帰り、カップヌードルをすすったんだ。結果はほぼ覚えている。よし、今日が10月25日なら、この馬が来るはずだ。たしか、万馬券だった。1万円入れたら、リターンは億だ。
的中した。現金を受け取った。途端にぞくっとしてきた。
やめよう、話がうますぎる。これは絶対におかしい。何か裏がある。
伊達にこれまで何度も修羅場をくぐってきてはいない。塀のなかにも入ったことがある。そこで培われた勘が、「やばいぞ」と言うサインを出してくれている。家に帰った。夕方になるのを見計らって、昨日の場所に行ってみた。おばあさんと屋台はそこにあった。
「これ、返すわ」と言って、昨日買ったカレンダーを差し出した。おばあさんは、しばらく身体をふるわせながら笑っていた。皺が揺れている。涙が出ているようだ。
「あんたは賢いね」
「どうも」
「なぜ返しに来たんだい」
「話がうますぎる。こいつをつかえば、いくらでも金がもうかる。だけど、その代わりに何かを取られる。おれは、何度かそういう目にあってきたし、人をそういう目にあわせてきた。経験知ってやつだよ」
「あんたはホントに賢いね。その通りだよ。等価交換ってやつさ」
「等価交換?」
「あんたは一回やってみただけで気がついた。でもね、そうじゃない奴もいるってことさ。こんなふうにね」
おばあさんは、後ろの方においてあった箱を私の前におき、ふたを開けた。そこには、身長が5cmほどの人形が入っていた。…いや、人形じゃない。人間だ。例外なく、かっと眼を見開き、苦悶の表情を浮かべている。
「もういいだろう」と独り言のように言って、おばあさんは蓋を閉めた。
気になることを訊ねた。
「俺の場合、等価交換はどうなってる?」
「あんたの場合かい」と言っておばあさんは鏡を取り出して私に渡してくれた。髪の毛が無くなっていた。
「これぐらいで済んだんだから、いいじゃないか」
「金を返してもどうにもならないのか?」
「その金で、カツラを買えばいいじゃないか。1億出せばいいのがあるだろうよ」
1億のカツラか・・・それも洒落てんな。
明日の行き先が決まった。おばあさんには、ポケットの中に入れていた金をすべて差し出した。小銭もすべて。
「あったかいものでも食べてよ」
心なしか、数本生えてきたような気がする。