蝸牛の歩み

「お話」を作ってみたくなりました。理由はそれだけです。やってみたら結構面白く、「やりたいこと」の一つになっています。

むかしむかしのことでした

2015-10-14 19:49:13 | 日記
むかしむかしの事です。大地がまだ平らだったころ、空は今より低い場所にありました。ですからみんな中腰で歩くか、這ってあるくしかなかったのです。
木も育つことができず、枝と葉とを横に広げていくのが精いっぱいでした。空は透き通っていて太陽の光を通すことはできましたが、この低さだけは何ともなりませんでした。
一人の男が言いました。
「なんとかならないかな」
みんな言いました。
「無理だよ、昔っからこうなんだから」
男は次の日も言いました。
「なんとかならないかな」
みんな言いました。
「無理だよ、昔っからこうなんだから」
男は次の日もまた次の日も同じことを言い続けました。
10年経って、一人の女が訊ねました。
「なんとかならないかって、どうするのよ?」
男は答えました。
「持ち上げられないかな、みんなの力で」
女は笑いました。
「あんた馬鹿じゃないの、こんな重たいものを持ち上げられるわけがないじゃないの」
男は言いました。
「力を合わせればできるんじゃないかな」
女は言いました。
「そんな夢みたいなこと無理に決まってるじゃないの」
男は言いました。
「そうかなぁ。やってみないとわからないと思うんだけど」
男は次の日から言いました。
「みんなの力で空を持ち上げよう」
みんなは笑いました。男は老いて死にました。
その息子が父親と同じことを言いました。
「みんなの力で空を持ち上げよう」
親が親なら息子も息子だ、とみんな思いましたが、息子の友達三人が、やってみてもいいかなと思いました。
四人は、毎日毎日みんなに呼びかけました。
「みんなの力で空を持ち上げよう」
友達三人の親たちは、あんな馬鹿とつきあうから、うちの子まで馬鹿になってしまって…と悲しみました。
10年経ちました。
四人から始まった提案に心を惹かれる者たちはだんだんと増えて行きました。ひょっとしたらできるかもしれない、と思い始めたからです。
四人の若者たちが老いて亡くなる時には、その考えに賛同する人たちはずっと多くなり、「やってみるだけやってみようよ」という若者たちも増えてきました。
そして、新しい年が始まる朝に、みんなで精いっぱいの力を出して空を持ち上げることにしました。
子どもも、老人も、女も男も、キリンも、ゴリラも空に掌をくっつけました。
一人の男が掛け声をかけました。
「よいしょう!」
ひとりの女が続きました。
「よいしょう!」
これを合図にみんなは腹の底から声を出して、空を持ち上げ始めました。空は、持ち上げられまいと必死で頑張りましたが、人間たちの力にはかないませんでした。空は、ずーっとかなたの方へと飛んでいきました。
それからのち、大地は丸くなって地球となり、空はその周りを取り囲み、遠く遠く広がりました。
人間たちは、大地が平らで空が低かったときのことを忘れてしまいました。大地は丸くなり、空ははるか彼方へと飛んで行ったのですから。
でも、その遠い遠い記憶は、人間の心の奥底に深く深く沈み込みました。
「みんなで力を合わせれば」と、私たちが思うのは、その時の記憶が甦って来るからです。そうじゃありませんか?