あまねのにっきずぶろぐ

1981年生42歳引き篭り独身女物書き
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

愛と悪 第五十二章

2020-05-30 12:58:21 | 随筆(小説)
タイムレスな時間のなかで、その存在を、錯覚する愛、エホバ。
西暦2100年、30歳になった彼は、この地球でたった一人になってから、ずっとずっとハリガネムシを結びつづけた。
何度結んでも結んでも、ハリガネムシは自力でほどいてしまう。
そして彼はとうとう、ハリガネムシを一回結んだあとに、その末端同士を瞬間強力接着剤で、くっ付けた。
すると見よ。ハリガネムシは最早、ほどかれなくなった。
この哀れなハリガネムシは、雄なのか雌なのか見当もつかなかったが、身体を息絶える時まで、水のなかでくねくねとくねらせてもがきつづけ、繋がれた自分自身のまま、力尽きた。
彼は、この死を体験したあと、一人の我が妻を創造した。
彼女は、ホログラフィーによって誕生したホログラムだった。
ほとんどの地上は海面下で眠りつづけており、すべての死んだ生命たちの記憶がまるで集合した悲しみのように、彼女は生まれた。
彼は、何もかもを喪った記憶によって、自分の妻だけを愛した。
だがアダムとエバのように、人類をまた繁栄させてゆくことはできないまま、最後の人類である彼は死んだ。
ホログラムの妻は、人間の夫の死を、見つめつづけた。
見えなくなるまで。
ただ彼女は、そこにあるものを、見つづけた。
西暦2070年、彼が誕生したとき、側に誰かがずっといた気がした。
その存在は、自分の母親であると感じた。
彼はそう望んだ。
彼は、まだ乳飲み子だったので母であると願う女性の乳房から、乳を吸うことを切実に望んだ。
でもどれほど吸っても、彼女の生白い乳房から、母乳を飲むことはできなかった。
それは枯れ果てても瑞々しいままの白い花のように、何の蜜も絞り出すことはできなかった。
彼はこの女性が本当に自分の母親なのだろうかと疑った。
狂いそうなほどの悲憤のなかに、絶叫するように彼は泣き叫びつづけた。
すると彼女は、悲しげな表情をして、小さな彼の口元に果実の絞り汁を垂らした。
彼は不満げに、それを飲みつづけた。
それをたらふく飲んだあと、彼女の胸にいだかれるぬくもりを感じるほんの一時だけ、彼にとって至福のときであった。
彼はそれを愛した。
だが気づくと、彼はひとりのようだった。
そして、彼はある日知った。
この地球という星のなかで、自分以外の人類は滅びてしまったことを。
彼女は、果たして自分の母親だったのだろうか?
彼はやがてその女性の記憶と酷似したホログラムのみずからの花嫁を造り上げた。
彼女が誕生した朝、彼は自分の妻に恋をした。
咄嗟に、彼は彼女に向かって言った。
「嗚呼、なんという幸運だろう...。僕は救われた...。」
彼女は、あどけない顔で、瞬きをしたあと、彼を見つめた。
彼女は、秘かに想った。
この男は、自分の父と、母なのだろうか。
生物学的性別は、男である為、わたしの父なのだろうか。
彼は、紅潮した頬をして彼女と見つめあいつづけたのち、彼女にそっと口づけをした。
その瞬間、彼のなかに何故かタンパク質フォールドの1つである三葉結び目(Trefoil knot)のイメージが浮かんだ。
それは自分が結んで繋げたあとのハリガネムシの理想的なイメージと同じものであった。
その時、ハリガネムシはもともとこういう形だったのではないかと想った。
それを誰かが、切り離してしまったのだ。
ほんの思い付きで。
だからそのしがらみによって、ハリガネムシは交尾をするときに嫌になるほどに、もう自分でもわけがわからなくなるほどに、互いの身体を絡み合わせて、縺れつづけるのだと、彼は確信するのだった。
だが無念なことに、どんなに絡みつづけてもその末端と末端を繋ぎ合わせることは彼らには不可能なのだった。
交尾したあとも、紐状のままで、生存しつづける。
若しくは、この世に絶望して力尽きて死んでしまうのだ。
人類の悲しみを、凝縮したような存在だ。
彼は彼女と舌を絡ませ合ったあとに見つめ合い、恍惚のなかに想った。
僕の妻は、まるで人類の悲しみを、集結させたような存在である。
彼女はみずからを創造した夫に向かって、彼のプログラム通りに言った。
「わたしは永遠に、わたしのたった一人の花婿である貴方だけを、愛しつづけます。たとえ、新たなる人類が、無限のこの世界で、幾度誕生しようとも。」
彼はふと、déjà vu(デジャ・ヴュ)を感じた。
前にも、同じことがあった気がする。
僕が誕生したとき、僕に向かって、彼女は同じことを言ったはずだ。
彼はまた、彼女と口づけを交わした。
その間に、彼と彼女の内部から流れ出るすべての液体は混じり合いながら半透明の乳白色となり、その水が未来の誕生する自分と彼女の眠る口元に滴り落ちるのを、彼は見た。
静かに陽の落ちてゆく、夕暮れの海辺で。




















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