何故、目を向けて来なかったのか。
そう自分自身に対し、すべての人が問う必要がある。
もし、すべての人が"それ"に目を向けて来たのなら。
わたしたち人間はこれほどの悲惨な死に方を、しなくとも済んだのかも知れない。
悲惨な死に方で、愛する者を亡くし、癒える日の来ない虚無の日々を送る果てに死ぬこともないのかも知れない。
毎日、何度と寝ても覚めても、わたしの家族は殺される。
そこに苦しみが何一つなく、またはあっても十分に堪えられるものであるのならば、わたしはどれだけこの抉られ続ける胸の穴がその肉で埋められるだろうか。
しかしそんな日は、未だに一秒たりとも訪れない。
わたしには最早、心休める瞬間もない。
わたしの家族が殺され続ける世界に生きて、何故わたしが安らかに眠り、心地好く目を覚ますことができるのだろうか。
わたしに休日は、一日もなく、一息付く零点一秒間もない。
これはいつまで続くのだろう?
この地獄は。
この地球は、いつから地獄の季節に入ったのだろう。
わたしには、世界は真っ赤に見える。
すべての生命が、血を流し続けているからである。
人間の悲惨な悲劇の根源である"それ"から、人間が目を背け続けて来たからである。
人類は、いつ気づくだろうか。
テロと脱線事故と、そして飢餓と堕胎と死刑の、そこに広がる光景を、あなたは生々しく想像することができるだろうか。
熱い血溜まりのなかで、今日何体の生命がその生を終え、また終えさせられただろうか。
今日何体の死が、解体されているだろうか。
そしてその死と、その血は、わたしたちすべての経験となり、血となり、肉となり、死となる。
わたしたちの与えるすべてが、必ずわたしたちに返ってくるからである。
だがわたしたちの与えないものは、わたしたちに与えられることはない。
あなたが死を与え続ける限り、死はあなたに与えられ続ける。
あなたが死を与え続けている限り、あなたは死ではないのか。
あなたはだれに生を与えているのか。
死であるあなたが生を与えるとき、それは死ではないのか。
あなたはだれを生かし、だれを殺しているのか。
あなたは明日、だれを生かし、だれを殺すのか。
あなたはその殺した血塗れの手で死を食べ、なにゆえに微笑むのか。
あなたは死でできているのに、だれを生かしているのか。
あなたが求めるものとは、あなたが明日に殺すその生き物の死体である。
解体された者たちは、最早生きている形ではない。
最早"それ"は、生きてはいない。
"それ"を行いし者、それは最早生きてはいない。
"それ"をみずからの血肉とする者、それは最早生きてはいない。
"それ"を与えし者、それは"それ"となる。
それは最早、どう見ても生きてはいない。
死のレール上を、走って行くばかり。
地獄のカーブを、スピードを落とさず、ブレーキを掛けずに。
それは曲がる。
あなたの与えるものが、正しくあなたとなるからである。
でも覚えておいてほしい。
わたしたちすべては、その未来のカーブを、無事に曲がることができる。
自分の欲望よりも、"それ"を見つめ続けるなら。
Dominion (2018) - full documentary [Official]
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