私が沖縄に来るきっかけは、今から24年前
鶴見の沖縄県人会の方に三線を習いたいので教室を
作って欲しいと直談判して快諾してくださった
大城先生が登川流のお弟子さんでした。
折角、三線を習っているのだから沖縄で本物を聴きなさい
と促され、その時は学生で沖縄文化をテーマにしていたことも
あり、すぐに沖縄行きを決めました。
沖縄着くとそのまま登川先生のご自宅へ連れて行かれました
私もあまり登川先生の事を知らないままに向かい
「あんたは、林助(照屋林助さんの事)のこと書いている
らしいがなぜ俺のことを書かない」
「イヤー申し訳ない」
「あんたウチナー口わかるね?」
「いえ解りません 勉強中です」
「じゃ帰んなさい」
なんだかとてもハードな言い回しをされますが
次第に彼独特の辛口のユーモアに慣れてきました。
好きな闘鶏のお話を楽しそうにお話してくださいました。
その時は沖縄古典民謡、琉球漫談、映画などでも活躍されて
おられる照屋正雄さんのご自宅でホームステイし
照屋林助さんのワタブーショーを拝見し
沖縄の芸能を支える素晴らしい人々に出会い
何ともディープな本当に貴重な素敵な時間をすごしました。
月日は流れ、三板(サンバ)教本のスペイン語訳を頼まれ、
三板の日に再会を果たしました。
「ご無沙汰しております」
「親不孝ものめ!」
また怒られてしまいました。
セー小先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/98/ffbeb46f28fd8b6cd7fb8c2ddcb32310.jpg)
鶴見の沖縄県人会の方に三線を習いたいので教室を
作って欲しいと直談判して快諾してくださった
大城先生が登川流のお弟子さんでした。
折角、三線を習っているのだから沖縄で本物を聴きなさい
と促され、その時は学生で沖縄文化をテーマにしていたことも
あり、すぐに沖縄行きを決めました。
沖縄着くとそのまま登川先生のご自宅へ連れて行かれました
私もあまり登川先生の事を知らないままに向かい
「あんたは、林助(照屋林助さんの事)のこと書いている
らしいがなぜ俺のことを書かない」
「イヤー申し訳ない」
「あんたウチナー口わかるね?」
「いえ解りません 勉強中です」
「じゃ帰んなさい」
なんだかとてもハードな言い回しをされますが
次第に彼独特の辛口のユーモアに慣れてきました。
好きな闘鶏のお話を楽しそうにお話してくださいました。
その時は沖縄古典民謡、琉球漫談、映画などでも活躍されて
おられる照屋正雄さんのご自宅でホームステイし
照屋林助さんのワタブーショーを拝見し
沖縄の芸能を支える素晴らしい人々に出会い
何ともディープな本当に貴重な素敵な時間をすごしました。
月日は流れ、三板(サンバ)教本のスペイン語訳を頼まれ、
三板の日に再会を果たしました。
「ご無沙汰しております」
「親不孝ものめ!」
また怒られてしまいました。
セー小先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/98/ffbeb46f28fd8b6cd7fb8c2ddcb32310.jpg)
照屋正雄さんと登川誠仁さん