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『阿蘭陀西鶴』 単行本 2014/9/10 朝井まかて著 講談社

2019年06月19日 | 本と雑誌

『阿蘭陀西鶴』 単行本  2014/9/10
朝井 まかて (著)
5つ星のうち 4.5
17件のカスタマーレビュー
amazon 内容(「BOOK」データベースより)
 
井原西鶴は寛永19年(1642)生まれで、松尾芭蕉や近松門左衛門と同時代を生きた俳諧師でもあり浄瑠璃作者でもあった。若くして妻を亡くし、娘と大坂に暮らしながら、全身全霊をこめて創作に打ち込んだ西鶴は、人間大好き、世間に興味津々、数多の騒動を引き起こす。ほんま、はた迷惑なお父はんや。日本初のベストセラー作家にして娯楽小説の祖・井原西鶴。娘との日々の暮らしから、謎に包まれたその人生に迫った。直木賞受賞第1作!
 
直木賞受賞第1作!
本邦初のベストセラー作家にして、エンタメ小説の産みの親・井原西鶴に挑む
『阿蘭陀西鶴』朝井まかて作家インタビュー
 
 
古い本だが、江戸時代の時代小説というくくりで10冊ほど並べてあった中から
なにも考えず選んだ3冊。そのうちの一冊。
偶然なのか、そうではないのか3冊ともあの生類憐みの令で有名な犬公方、徳川綱吉の治世のころの物語だった。(コメント参照)
 
直木賞受賞作家の著者・朝井 まかてのペンネーム「まかて」は沖縄出身の祖母の名に由来すると
いうことは、検索して知った。
 
ーーーー
 
西鶴の盲目の娘「おあい」が語り手。
その文章は、読み手の五感も研ぎ澄まされて、一行目から引かれ、一気に読んだ。
 
天才で厄介者の父西鶴が、できあがった『好色一代男』を自ら朗読する声を聴く。
娘おあいは今まで知らなかった父の洒落者の一面を知ることで、
盲目の自分でも文章によって感じ、つかみ取ることができたことに、あらたな喜びを覚える。読者は、ここで盲目のおあいの語る文章によって五感が研ぎ澄まされて、いままでにない世界を垣間見た感動をおあいと共有するだろう。あとは読んでのおたのしみ。
 
西鶴『好色一代男』は、とおい昔に読んだ記憶はあるが、TVの解説でおもしろさを知った。当時の歴史背景などを知れば面白みも増してだろうに。
 
庶民のかたる大阪弁自体にも、お上にたいする反骨のひびきがあってよろしい。
 
公儀の取り締まりを恐れ好色物の出版にしり込みする馴染みの出板屋。
西鶴は大阪弁を駆使して激怒し、なんとか出版にごぎつける。ここも、あとは読んでのお楽しみ。
 

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1 コメント

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Unknown (管理人)
2019-06-19 21:42:41
家康から五代目ともなると戦国の殺伐とした気風は薄れ、綱吉の治世下は、近松門左衛門、井原西鶴、松尾芭蕉など教科書でもおなじみの文化人を生んだ元禄の、好景気の時代だった。
徳を重んずる文治政治を推進し、儒学が重んじられ隆盛を極めた。

『好色一代男』は1682年(天和2年 西鶴41歳)だから、
基本的には善政として「天和の治」と称えられている綱吉の治世の前半にあたる。
悪評高い生類憐みの令は貞享2年(1685)以後しばしば発令され綱吉死後(生誕(1646年~1709年)廃止。

井原西鶴 1642年~1693年

奄美大島での砂糖製造の始まりは、元禄(1688年から1704年)説が有力(慶長説もある)だそうですが、砂糖じごくが始まる前に、京、大阪の庶民は、俳句などたしなむ者も多くいたのだ。

自称する『阿蘭陀西鶴』にも、異端、際物、ハチャメチャ、ええかっこしい、前衛、
のほかに反骨のひびきあり。

公儀の取り締まりに怖気づく版元や、お高くとまる文学の大家(あの松尾芭蕉)にも、たんかを切って見せるのであった。

名前だけは知っている西鶴の他の代表作『好色五人女』『日本永代蔵』『世間胸算用』を
いきなり原文で読めといわれてもなあ、という向きには、こうした時代小説で作家の目を通して読むのも・・・。
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