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『東郷平八郎』 (読みなおす日本史) 単行本 – 2013/11

2019年01月09日 | 本と雑誌

同郷の西郷とも一字ちがいだが、その生い立ちや、人となりや、ロシア帝国海軍バルチック艦隊を破って世界的な名提督として知られる英雄像についてよりも、
力点はその後の約30年(86歳没)も軍部の重鎮として515や226など日本現代史に影響をあたえ続けた人間東郷の実像と史実にある。
日露戦争の日本海海戦で神格化され英雄に祭り上げられ、その後のイメージがあまりわかない東郷平八郎 。そのわけを知ることも近現代史を知るうえで重要なことだと知らされる。
明治時代「陸の大山、海の東郷」「薩の海軍、長の陸軍」など、の知識を補強しつつ読まないと骨のおれる内容だった。一字ちがいの東条英機についても押さえておく必要がある。
 
西鄕隆盛、文政10年1828年- 明治10年(1877年)薩摩
大山 巌(天保13年1842年 - 大正5年(1916年)薩摩 西郷隆盛・従道兄弟は従兄弟。西郷隆盛と西郷 愛加那の娘は実弟大山誠之助の妻
東郷 平八郎(弘化4年1848年) - 昭和9年(1934年)薩摩
山本 権兵衛(やまもと ごんのひょうえ)嘉永5年1852年- (昭和8年)薩摩藩士 海軍
乃木 希典(嘉永2年1849年 - (大正元年)1912年 長府藩士
東條 英機(明治17年)1884年 - (昭和23年)1948年 東京麹町(陸軍大臣 第40代内閣総理大臣(1941年昭和16から1944年昭和19年)
 
本書にもあるが東郷平八郎のイギリスへの官費留学(明治4年から同11年までポーツマス)についての逸話。
 
wiki 明治の世の中になると海軍士官として
よく知られる逸話に、東郷は当初、鉄道技師になることを希望していた。イギリスに官費留学する際、最初は大久保利通に「留学をさせてください」と頼み込んだが色よい返事はもらえなかった。後で東郷は大久保が自分に対して「平八郎はおしゃべりだから駄目だ」とする感想を他者に漏らしたことを伝え聞いて、自省してその後は寡黙に努めた。それが長じて、後年は「沈黙の提督」との評価を得るまでになった。大久保の次に西郷隆盛に頼み込んだところ、「任せなさい」と快諾、ほどなく東郷のイギリス留学が決定したという風説があるが、実際には小笠原長生が東郷から直接聞いた思い出話に西郷や大久保の名前は無く、選抜の成否がわからなかったので易者に占ってもらったと述べているのみである。wiki
上の逸話の決定はいかにも乱暴で薩摩的だが、
謎の多い日露戦争後から昭和の東郷の実像を知るうえでも、経験主義の国イギリスでの7年間の体験が参考になるだろう。
西郷と大久保の性格も表れていて興味深いが、「平八郎はおしゃべり」だからどうだったのか、
その評価は、意外にキーポイントではないだろうか。本書全体を読んでそう思う。昭和9年没まで生涯元帥だった東郷は、そのごの軍国主義の高まりとどうかかわり、どう利用されたのか、あまりしゃべらないほうがよかったのか評価は簡単でなさそうだ。
東郷の若いころの写真は、いかにも薩摩隼人らしいイケメン男前だが、よく見る晩年の写真は、いかめしい顔をしている。
 

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