ので生まれ故郷の伊達市に行って、初の本格的な中学のクラス会の打合せに行って来ました。
そしてFacebook伊達会で知り合った方がNOP法人代表を務める 「いきいき食堂」 を訪問して来ました。
http://www.mushanavi.com/member/?SINO=1206
ランチにするか牛丼にするか迷って、牛丼を美味しくいただきました。
何気なく、スマホを覗いていたら、柏原竜二が現役引退の衝撃的ニュースが飛び込んで来ました。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6235373
ニュースを知ったLINEの 「東洋大学北海道応援団」 からも続々と現役引退を惜しむ声が・・・。
言うまでもなく、柏原竜二は東洋大学駅伝史上最大の功労者であり、それだけに留まらず〝東洋大学〟と言う私立大学の知名度UPにも大いに貢献しました。
何よりも、それまでもかなりの人気があった 「箱根駅伝」 を一層メジャーにしたインパクトのある大選手でしたね。
私の妻も、2人の妹もそれまでは箱根駅伝などには余り興味を示さなかったのですが、柏原の1年時の5区でのごぼう抜き以来、箱根駅伝や東洋大学に対する評価も変わったような気がします。
在学中の成績は
85・5区(1位)、86・5区(1位)、87・5区(1位)、88・5区(1位) 4年連続5区区間賞、内3回の優勝に貢献。
柏原竜二の大活躍で、東洋大学の駅伝人気は大爆発!その人気は2年後輩の設楽兄弟に引き継がれ、そのまた後輩の服部兄弟の時代において人気が円熟期に達したと言えるでしょう。
私が若い時に、それまで競馬と言うと、どこか社会から外れ気味の人間がやるものだと言う雰囲気があった頃、突如公営競馬から這い上がった〝ハイセイコー〟の活躍に依って、一挙に競馬が大衆の人気になりました。
私は柏原竜二に、ハイセイコーと同じ匂いを感じるのです。
卒業後は度重なる故障に悩まされ、大輪の花を咲かす事はありませんでした。
素人がこんな事を言うと叱られますが、やはりあの過酷な箱根5区を4年連続して登ったと言うのが、遠因ではないかと思っちゃうのですよ。
Twitterでもアニメヲタクを如何なく発揮し、Tweetも声優やゲームに関する事が多く、陸上に専念・集中してるようには見えませんでした。
引退後も、富士通の社業に専念するとの事、第二の人生の方が遥かに長いのですから、頑張って欲しいです。
母校の数ある運動部の中で、TVの前で、私を泣かせた唯一のは箱根駅伝初優勝でした。
(松沼雅之を擁して、東都大学野球で初優勝した時も、大喜びしましたが、泣きはしなかったもんな・・・)
もちろん柏原竜二1人の活躍で優勝出来た訳ではありませんが、
彼無くして優勝は有り得なかったのも、又事実でありましょう。
まだ東洋大学が予選会を通るのがやっとの時代、私は母校が箱根駅伝で優勝するまで死ねないと周囲に言っていました。
(もういつ死んでも悔いはない と言うのは 嘘…。)