今日、二回目、大学でカウンセリング行ってきたんですが・・・
やっぱりてきとうだった
なんか‘あぁ、自分が生きていく方法は自力で見つけるしかないんだなぁ’ってあらためて思った感じ。
たぶん、あの先生のもとで回復していった人たちがいるとすれば、絶対、みんなそういうふうに思って=自分でなんとかしようって思って、回復していったにちがいない・・・。まぁ、大学通ってこれるって時点で、深刻度は低いのかもしれん。それはもちろん個人差あるけど、わたしだって、もっとダメな時はカウンセリング行くこともできんかったわけやし。
そういえば、前に、先輩も言ってたなぁ。うつの時に、
「大学の精神科、行ったんだけど、薬とか飲むより、ぜったい、散歩とかした方が効果あるって思ったよ。」
・・・たぶん、薬どうこうの話だけじゃなくて、診察全体の話だったんだろうなぁ。先輩はそうは言わなかったけど。
なんかね、自力で生きる方法見つけなあかん、って思ったのには、昨日、NHKのETV特集で『「見えない」を生きる』っていう特集をみたから、っていうこともあるの。っていうか、それが大きい。
中途失明をした(大人になってから目が見えなくなった)方々の話で、その中で、失明前に、小学校の先生してた30代の男の人がいらして、復職したいって意思を持ってらして。
それを目が見えなくて教職をしている先輩方に相談するんやけど、復職への道の険しさとか半端なくて、その先輩が‘世間は冷たいよ。’ってことと、‘仕事っていうのは、ほんまに大変なことなんや。だから、職業って、すごいことなんやで’って言う。
ほんまにそうなんやな、って思って。
だれでも生きていくのは大変。
ハンデがあれば、なおさらのこと。
だけど、生きていこうと思えば、生きていく場所はだれでもつかめるし、それって、つかもうって思うか思わんか、生きていこうって思うか思わんか、っていうだけの話なんやと思う。
昨日、母と電話で話したのは、
「ともかく、生きていくことが大事なんや」
っていうこと。
そうか、ぼくらは生きるために生まれてきたのか。
もちろん、故意に人を傷つけないっていう条件つきやけど、それ以外やったら本当になんでもしていいし、なんでもするべきなんやと思った。
今まで、勉強のことも、すごい中途半端やった、私。
だって、努力できんのやもん、って。私、生まれつき、そうなんやもん、って思ってた。
けど、私は学問で身をたてる予定でいるし。(ちょっと大げさやね。)
そうなんやったら、なんでもできるわ、って思って。
わからんことは、何度でも聞くし(どうせ、そうは言っても、二回以上は聞かんやろうし)、あんま関係ない研究会にも出るし、それで空気読めてない感じになっても、別に深刻にいやがる人はいないだろうから、私が生きるためなんやもん。たぶん、そっちの方が、家族も先生も安心してくれるはずやし。
やっと、世の中のしくみがすこしだけわかってきた気がしています。