昨日の調子のわるいのは、本格的にカゼ、ということが夜になって確認(自分的に)されまして。
まぁね、調子わるいのも、はっきりとどこが痛いとか分かると精神衛生はいいです。
それにしても。
この頃は、自分の、おちこぼれとしての性質を自覚するに至っており、それはそれで気分がすっきりするものです。
けっこうこまるのはこまりますが、・・・なんで大学院に来てまで、おちこぼれながら学問つづけるんだろう、って感じはなくはないですが・・・、一方で、型にはまらない人間だからできることっていうのもどうもあるみたいで。
ただ、家族が自分に期待しているとしたら、それはとても申し訳ない。
この先、能力を発揮することができて、それで活躍できると思ってくれるとしたら、それは申し訳ない。
自分の道は見つけるつもりだけど、それが人から見てよさそうに見える道ではないかもしれない。
なにを「よい」と思うか、というのは、世代差みたいなものもあって、ここ数年、自分が環境の中で培ってきた物事を評価する尺度というのは、たとえば両親のそれとはかなり隔たりがあるということを最近、確認した。
名誉とかばかりを期待されているわけではないことはわかっているけど、たぶん、わたしがどれくらい絶望を感じたり、どれくらい自分のことを疑ったりしてきたかということは伝わっていなくて。
この先、自分の生きやすい道をいっしょうけんめい見つけていこうと思ってるし、最近、気力がついてきたから努力もできると思うけど、自分がしあわせと思える状態をかならずしも親が見て‘しあわせなんだな’と思ってもらえるかはわからなくて。そういう人って多いと思うけど。だから、つまり、しあわせになって、あるいはその方向を目指しながら、‘それがわたしにとってとてもよい状態です’ということをわかってもらえるように説得する必要もある。
っていうか、わたしは要は、家族とか大事な人の、賛同を得られない状況っていうのがすごくイヤなんだ。反対されるくらいなら、自分の主張とかやってることも変えてしまおう、っていう性格。
顔色うかがいをしているみたいで、かっこわるいけど、実際、みんなが‘いいね’って思ってくれることが自分の精神の健康に重要っていうか。たぶん、最初から、仕事とかバリバリするタイプではないんだ。研究者っていうのも、部屋にこもって仕事できそうだから、楽しそう

って思ってたわけだし。実際は、そんなものでもないんですけどねー。あ、つまり、人と交渉したりする側面っていうのも、全然いっぱいある、っていうことで。
あぁ、そうなんですよねぇ。研究のことも、結局、先生の顔色うかがって、自分の意見を通せなくて、一貫性にかける内容になってしまって、まとまらなーい、みたいなことです。
自我の確立ができてない感じですね。まぁ、これからするとして。
自分には何ができるだろう。自分のために動かないと、人のためにもならない、なんて状況にぶつかるなんて、高校生の頃は、ぜんぜん知らなかったなぁ。滅私奉公がうつくしいと思ってた。強く思ってた。