
東京、関東に滞在するとなると、やはり参拝しておかないとと思う神社の一つでした。現在も定期的に天皇の幣帛を受ける勅祭社です。関東地方の事情に疎い大阪人からすると、東京からすんなり電車を乗り継いでいけるのかと思いきや、少し調べて高速バスで行くものだと理解できました。さすがの有名神社で、普通の土曜日でしたが、拝殿や奥宮では参拝までに10分程度並ばなければいけないほど、参拝者で賑わっていました。
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・露店の並ぶ先に楼門が見えます
【ご祭神・ご由緒】
ご祭神は、武甕槌大神。この神様は・・・・・
【鹿島神宮成立の経緯】
当社の始まりについては、「常陸国風土記」にそれと思しき・・・・・・
【摂社 息栖神社の岐神】
当社から10キロ弱南にある神栖市息栖の摂社息栖神社の主祭神は岐神ですが、大和氏は「岐」を「クナト」「フナト」と・・・・・・
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【鹿島の甕信仰と蛇神】
・・・・また、「琉球神道記」の゛鹿島明神のこと゛では、鹿島明神は人面蛇身で、常州鹿島の浦の海底に居し、顔面に牡蠣を生ずることなど海神安曇磯良と同じに見立てられています。大和氏は、「琉球神道記」の話を無視出来ないとし、これら伝承と鳴門の淡路や対馬の大甕伝承とを列記して、これらが重なると考えられていました。
・・・・・なお、「琉球神道記」の人面蛇身の話に関わる話としては、宮井義雄氏による゛謡曲の常陸帯(鹿島神宮の正月の神事の一つ。神前で禰宜が、男女の名を記した帯の先を結び合わせて、結婚の相手を占った習俗の事)に、鹿島神が「我、劫初より此の方、此の秋津洲に住んで、其のかたち八尺の白蛇と同じ」と述べるところがあり、鹿島神の顕現形相の一は蛇体である゛とするお考えもあり、大和氏は三輪伝説と共通するものとみておられます。
【「元鹿島の宮」大生神社】
行方郡にある大生神社には、「元鹿島の宮」と呼ばれる伝承があります。当社禰宜を務める家柄である東家の・・・・・・
【奥州鹿島社の祟り事件】
太田亨氏は、那珂国の国造は・・・・・・
【社殿、境内】
本宮社殿は1619年造替の極彩色の権現造で・・・・・
【伝承】
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