
東京に少し滞在する機会を得て、それではと迷うことなくこちらの一宮に参拝をさせていただきました。大宮駅から歩いて、有名な長い参道をあるきましたが、休日という事もあり多くの市民の方々が行き交っていて、地域に親しまれている感じがしました。丁度、七五三の時期で、着飾った子供連れの家族が沢山参拝していて、さすが関東の一の宮です。
【ご祭神とその諸説】
ご祭神は、須佐之男命、稲田姫命、大己貴命がお祀りされています。1830年に完成した「新編武蔵風土記稿」によると、江戸時代には三の鳥居を入った正面の簸王子(ひのおうじ)社に大己貴命(一説に加具土命)を祀り、神池を渡った左の本宮・男体社に須佐之男命(相殿、日本武尊・大己貴命)を祀り、そして右の女体社に稲田姫命(相殿天照太神宮、伊邪那美命、三穂津姫命、橘媛命)が祀られるという風に、三神が別々に祀られていました。1832年の「氷川大宮縁起」では、ご祭神を現在の三神としつつ、のちに日本武尊を合祀したとしていますが、「新編武蔵風土記稿」は本宮のご祭神について、杵築大社を移した・・・・・・
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【祭祀氏族・神階・幣帛等】
当社を奉斎したのは武蔵国造だと理解されています。「先代旧事本紀」国造本紀には、成務朝に出雲臣の祖名二井宇迦諸忍之神狭命の十世孫の・・・・・・
楼門
【中世以降歴史】
拝殿
【鎮座地】
西角井正慶氏の「祭祀圏の問題」という文章によると、氷川神社と称する神社は、旧武蔵国にあたる埼玉県に162社、東京都に59社、神奈川県に1社と合計222社を数えましたが、旧武蔵国以外では急に・・・・・・
【社殿、境内】
1180年に源頼朝が土肥実平を奉行として社殿を再建したのを始め、1596年には徳川家が社頭を残らず造営しました。1667年には出雲大社の造営と合わせて・・・・・・
門客人神社。ご祭神は、足摩乳命、手摩乳命。
【伝承の武蔵国造】
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