
当社の名前は、一般に神田明神と呼ばれていて当社自身もこの名前を前面に出されていますが、ホームページでは正式名称は神田神社だと説明されています。明治維新後にこの正式名称になったようで、通称は江戸時代の古式にならったもののようです。JR秋葉原からも歩いてすぐで、参拝者もやはり若者が(一般の神社に比べて)多い感じでした。立派な文化交流館も近代的なイメージで、都民に広く深く親しまれている感じがわかります。
随神門。提灯の横っ腹に「なめくじ巴」が見えます
【ご祭神・ご由緒】
ご祭神は、一之宮に大己貴命、二之宮に少彦名命、そして三之宮に平将門公が祀られると説明されています。事情に疎い関西人の目線から拝見すると、あの平将門公が出雲の有名な二神と共に祀られている事が一見意外にも感じるのですが・・・
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拝殿
社伝によると、聖武天皇の時代の730年の創建で、往古は神田ノ宮と呼ばれていました。この神田とは神領の田のあったところから来た名前で、つまりは伊勢・・・・・・
【平将門公の合祀】
上記の通り神田の鎮めや国土開発のために創建された神社であり、当初のご祭神は大己貴命で、鎮座地は現在の千代田区大手町一丁目あたりでした。しかしのちの時代に、そのすぐそばに「将門の首塚」が現われた事で、当社の歴史が激しく転回したと・・・・・・
朱雀天皇の時代に起こった「将門の乱」では、940年に平将門公は俵藤太(藤原秀郷)に討たれ、その首は京都の東の市に晒されました。ところが、その首が・・・・・・
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【少彦名命の合祀】
【中世以降歴史】
【社殿、境内】
【なめくじ巴の神紋】
楼門や拝殿にかかる大ちょうちんに、普通の巴とは違うらしい神紋が描かれています・・・・・・
【祭祀・神事】
当社の神田祭は、京都の祇園祭と大阪の天神祭と並んで日本三大祭りの一つである名高いお祭りです。別名・・・・・・
えびす様尊像
【伝承からの思案】
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