
引き続き出雲大社について。前回は、ご祭神の大国主命と出雲国造の関係や、本殿の神坐西面についてふれましたが、今回は中世以降の運営や、主な祭祀の話題をまとめたいと思います。
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【国造家分裂】
国造家はそもそも一家でしたが、54代孝時国造が病死した後、一期限りで所職を譲られていた三郎清孝国造が、1343年その職を五郎孝宗に譲りました。しかしこれに対して六郎貞孝は、既に父存命の1335年に清孝のあとは自分だとの譲状を受けていると・・・・・・
・本殿を北東側から
【身逃げ神事などの祭祀】
出雲大社の大きな神事は、5月の例祭(三月会)、6月の清殿祭、8月の神幸祭(身逃げ神事)、陰暦10月(今年は11月25日から)の神在祭、そして11月の古伝新嘗祭です。なかでも不思議な祭祀が8月の「神幸祭・身逃げ神事」でしょう。石塚氏も”今となっては元の意義がわかりにくい”と書かれています。その神事次第です。深夜一時、鳥帽子、狩衣に身を正した禰宜(本来別火職だった)が足半を履き、・・・・・・
・裏にもうさぎがいます
【伝承】
出雲伝承・口伝では、”杵築大社内に先住系と渡来系の神が混在しているように、神職も敵対した家々の子孫達が共存していた奇妙な神社であった”、と書かれています。国造身逃げ神事は、その先住系の為の神事だといいます。それは・・・・・・
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