
11:15に神湊湊を出発して20分程で、フェリーは大島港渡船ターミナルに着きます。そこから、まず沖津宮遥拝所に向かう為、11:50発の観光バス「グランシマール」に乗りました。これは、ターミナル駅と砲台跡の間を30分程度で往復する、小さなマイクロバスです。出発して10分弱で遥拝所前に到着します。ですが、その後10分程度したら戻ってくるバスに乗らないと、1時間前後はそこにいないといけなくなります。当日はあいにくの曇りでしたし、10人ほどの皆さんも戻られるので、名残惜しかったのですが、復路のバスに乗りました。残念ながら沖ノ島は見れませんでしたが、普通に来れる一番近い場所まで来た事に、ちょっとした達成感を感じました。
宗像市教育委員会の岡崇氏によると、この沖津宮遥拝所が設置された時期は・・・・・・
先の宗像大社1の記事で書きました歴史の続きですが、1586年に宗像大宮司氏貞が亡くなった後、大宮司家は・・・・・・
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・・・・・・こうした中での沖津宮遥拝所の設置だったのです。なお、昭和に入っても一時荒廃していましたが・・・・・・
沖ノ島祭祀の変遷の基本のキを、超有名な代表遺物と共にまとめますと
形態 存続期間 有名な遺物
第1段階 岩上祭祀 4世紀後半~5世紀 銅鏡(九州に類を見ない、畿内上位層・・・・
第2段階 岩陰祭祀 ・・・・・・
第3段階 ・・・・・・
第4段階 ・・・・・・
これは、かつての宗像大社復興期成会が実施した、1954年~1971年の3回の調査結果から固まっていたのですが、福岡大学、桃崎雄介氏によると、世界遺産申請にかかる再検討の進展で見直しされてきてるようです。まず、第1段階古段階、というのが・・・・・・
・絶壁のすぐ上に鎮座します
・・・・・・海浜にせまった丘陵上に、湍津姫を祀る中津宮が、本土の辺津宮と向かい合うように鎮座します。1566年・・・・・・
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・一の鳥居と二の鳥居
1981年に、中津宮から参道がある御獄山山頂で、須恵器や土師器、滑石製玉類の散布が確認されました。沖ノ島の1号露天遺跡と・・・・・・
海の家むなかた館長で著名な考古学者である西谷正氏(お生まれは高槻市)によると、弥生時代前期の遺跡が宗像に10カ所ほどあり、北部九州でも有数の初期稲作文化の定着地といえるよう。ただ、弥生時代中期の田熊石畑遺跡で青銅器が15本出土し、共同体の首長墓であろう事が確認されてるものの・・・・・・
「新撰姓氏録」には、”宗形君は、大国主6世孫吾田片隅命の子孫”と書かれています・・・・・・
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