名前の由来:中国名の牡丹を音読みしてぼたんに
別名:名取草(なとりぐさ)、二十日草(はつかぐさ)、深見草(ふかみぐさ)
ボタン(キンポウゲ)科ボタン属
開花時期:4月~5月
![](http://akiiy.sakura.ne.jp/cole/botan01.jpg)
花言葉:壮麗、恥じらい、高貴、富貴
桃の花言葉:風格ある振る舞い
濃赤紫の花言葉:王者の風格
![](http://akiiy.sakura.ne.jp/cole/botan02.jpg)
[紫雲殿]
中国原産。日本へは奈良時代に渡来してきたらしい(弘法大師が持ち帰ったとの説もあります)。中国の国花で、新年を祝う花として、中国の上流階級ではとりわけ珍重されました。
花王(かおう)、白王獅子(はくおうじし)、大極殿(だいごくでん)、烏羽玉(ぬばたま)などいろいろな種類があります。
![](http://akiiy.sakura.ne.jp/cole/botan03.jpg)
[白王獅子_はくおうじし]
同じあんこもちの呼び名_あんこのおもちに「ぼたもち」と「おはぎ」があります。
春のお彼岸に食べるのは、春を代表する花の牡丹(ぼたん)にちなんで
「牡丹餅」→「ぼたんもち」→「ぼたもち」と。
秋のお彼岸に食べるのは、秋を代表する花の萩(はぎ)にちなんで
「萩餅」→「おはぎもち」→「おはぎ」と ・ ・ ・ なったらしいのです。
![](http://akiiy.sakura.ne.jp/cole/botan04.jpg)
[大極殿_だいごくでん]
俳諧ではぼうたん、富貴(ふうき)草とともに夏の季語として使われます。
牡丹散て(ちって)打かさなりぬ二、三片 与謝蕪村
牡丹花は 咲き定まりて 静かなり 花の占めたる 位置の確かさ 与謝蕪村
一輪の 牡丹かがやく 病間かな 正岡子規(まさおかしき)
![](http://akiiy.sakura.ne.jp/cole/botan05.jpg)
《 京 丸 牡 丹 伝 説 》
気田川を遡って山を昇って山奥に入ったた所に京丸村があります。京丸村は源平の戦いに負けた平氏の落人の村(又は、乱世を避けて山中に住みついた藤原佐衛門佐_さえもんのすけの末裔の村)だと言われており、村人達は村の外の人々と交流することはありませんでした。
ある時、一人の若者が京丸村に迷い込んで行き倒れてしまいます。若者は看病してくれた京丸村の娘と恋仲になりましたが、村の掟でよそ者との結婚は許されません。二人は村を出ていきましたが、身寄りのない二人には世間の風は冷たく、二人は京丸谷に戻ってきます。しかし、村の掟は厳しく、絶望した二人は気田川に身を投げてしまいました。
翌年、村人達が二人の供養のために川を訪れると、大きな白い牡丹の花びらが流れてきました。その牡丹は崖にしか咲かず、近くで見た人は誰もいませんでした。それに、60年に一度しか咲かないといわれ、遠州七不思議の一つとされています。
[静岡県周智郡春野町]
![](http://akiiy.sakura.ne.jp/cole/botan06.jpg)
))))) 宴 の 前 (((((
![](http://akiiy.sakura.ne.jp/cole/botan07.jpg)
![](http://akiiy.sakura.ne.jp/cole/botan08.jpg)
))))) 大 接 近 そして 遭 遇 (((((
![](http://akiiy.sakura.ne.jp/cole/botan09.jpg)
![](http://akiiy.sakura.ne.jp/cole/botan010.jpg)
![](http://akiiy.sakura.ne.jp/cole/botan011.jpg)
![](http://akiiy.sakura.ne.jp/cole/botan012.jpg)
![](http://akiiy.sakura.ne.jp/cole/botan014.jpg)
『 立 て ば 芍 薬、 座 れ ば 牡 丹、 歩 く 姿 は 百 合 の 花 』
![](http://akiiy.sakura.ne.jp/cole/botan015.jpg)
別名:名取草(なとりぐさ)、二十日草(はつかぐさ)、深見草(ふかみぐさ)
ボタン(キンポウゲ)科ボタン属
開花時期:4月~5月
![](http://akiiy.sakura.ne.jp/cole/botan01.jpg)
花言葉:壮麗、恥じらい、高貴、富貴
桃の花言葉:風格ある振る舞い
濃赤紫の花言葉:王者の風格
![](http://akiiy.sakura.ne.jp/cole/botan02.jpg)
[紫雲殿]
中国原産。日本へは奈良時代に渡来してきたらしい(弘法大師が持ち帰ったとの説もあります)。中国の国花で、新年を祝う花として、中国の上流階級ではとりわけ珍重されました。
花王(かおう)、白王獅子(はくおうじし)、大極殿(だいごくでん)、烏羽玉(ぬばたま)などいろいろな種類があります。
![](http://akiiy.sakura.ne.jp/cole/botan03.jpg)
[白王獅子_はくおうじし]
同じあんこもちの呼び名_あんこのおもちに「ぼたもち」と「おはぎ」があります。
春のお彼岸に食べるのは、春を代表する花の牡丹(ぼたん)にちなんで
「牡丹餅」→「ぼたんもち」→「ぼたもち」と。
秋のお彼岸に食べるのは、秋を代表する花の萩(はぎ)にちなんで
「萩餅」→「おはぎもち」→「おはぎ」と ・ ・ ・ なったらしいのです。
![](http://akiiy.sakura.ne.jp/cole/botan04.jpg)
[大極殿_だいごくでん]
俳諧ではぼうたん、富貴(ふうき)草とともに夏の季語として使われます。
牡丹散て(ちって)打かさなりぬ二、三片 与謝蕪村
牡丹花は 咲き定まりて 静かなり 花の占めたる 位置の確かさ 与謝蕪村
一輪の 牡丹かがやく 病間かな 正岡子規(まさおかしき)
![](http://akiiy.sakura.ne.jp/cole/botan05.jpg)
《 京 丸 牡 丹 伝 説 》
気田川を遡って山を昇って山奥に入ったた所に京丸村があります。京丸村は源平の戦いに負けた平氏の落人の村(又は、乱世を避けて山中に住みついた藤原佐衛門佐_さえもんのすけの末裔の村)だと言われており、村人達は村の外の人々と交流することはありませんでした。
ある時、一人の若者が京丸村に迷い込んで行き倒れてしまいます。若者は看病してくれた京丸村の娘と恋仲になりましたが、村の掟でよそ者との結婚は許されません。二人は村を出ていきましたが、身寄りのない二人には世間の風は冷たく、二人は京丸谷に戻ってきます。しかし、村の掟は厳しく、絶望した二人は気田川に身を投げてしまいました。
翌年、村人達が二人の供養のために川を訪れると、大きな白い牡丹の花びらが流れてきました。その牡丹は崖にしか咲かず、近くで見た人は誰もいませんでした。それに、60年に一度しか咲かないといわれ、遠州七不思議の一つとされています。
[静岡県周智郡春野町]
![](http://akiiy.sakura.ne.jp/cole/botan06.jpg)
))))) 宴 の 前 (((((
![](http://akiiy.sakura.ne.jp/cole/botan07.jpg)
![](http://akiiy.sakura.ne.jp/cole/botan08.jpg)
))))) 大 接 近 そして 遭 遇 (((((
![](http://akiiy.sakura.ne.jp/cole/botan09.jpg)
![](http://akiiy.sakura.ne.jp/cole/botan010.jpg)
![](http://akiiy.sakura.ne.jp/cole/botan011.jpg)
![](http://akiiy.sakura.ne.jp/cole/botan012.jpg)
![](http://akiiy.sakura.ne.jp/cole/botan014.jpg)
『 立 て ば 芍 薬、 座 れ ば 牡 丹、 歩 く 姿 は 百 合 の 花 』
![](http://akiiy.sakura.ne.jp/cole/botan015.jpg)
![にほんブログ村 写真ブログへ](http://photo.blogmura.com/img/photo120_60.gif)