「レスター・レヴェンソンのリリーシング」- I'm trying to show you the entire way.

Lester:「私は、あなたに全ての道を案内しようとしています。」 2015-10-04-09:45JST

Bernadette Roberts (バーナデット・ロバーツ) 1931~ (04)

2013-06-10 03:31:14 | 参考-話題 (opinion)
Bernadette Roberts (バーナデット・ロバーツ) 1931~ (04)

 Bernadette Roberts - Wikipedia, the free encyclopedia

Bernadette Roberts (born 1931) is a former Carmelite nun and a contemplative in the Catholic tradition.

バーナデット・ロバーツ(1931生まれ)は、元カルメル会修道会の修道女とカトリック伝統の瞑想をする人です。


1 Life
2 Importance
3 Brief overview of the journey
4 Summary
5 Works
6 External links



バーナデット・ロバーツ

バーナデット・ロバーツ(Bernadette Roberts)という女性がいる。正確な生まれ年は知らないが、1984年に、アメリカで"The Experience of No-Self, A Contemplative Journey"(邦訳『自己喪失の体験』(雨宮一郎訳、紀伊國屋書店、1989年)が出ているからそれほど古い話ではない。彼女はカリフォルニア在住で、幼いころからカトリックの家庭に育ち、近所の教会で瞑想をしながら敬虔なクリスチャンとして4人の子供を育てた、ごく普通の主婦である。

彼女自身、永く瞑想を経験を積んでいる人だが、あるとき、「自己を喪失する」という奇妙な体験をした。自分の体がただの抜け殻、抜け殻というと世間でよく言われている「幽体離脱」と呼ばれるようなものや記憶喪失のようなものを想像するかもしれないがそうではない。そうではなく、究極の自分、自分の体を切り刻んでいっても、最後の最後まで残る「それ」のことであるが、その「それ」まで消えるという体験をした。

人は何かの拍子に、「私は誰?」という問いにとりつかれることがある。私はどこから来て、どこへ行くのか。このようなことを考え出すと、最後には「究極の私」と思えるもの、「それ」と呼ぶしかないものにたどり着く。それは「意識」、「魂」、「エネルギー」と表現されているものである。「それ」、すなわち「自己」が消えた。


バーナデット・ロバーツがこの奇妙な体験をしたとき、過去に誰か書き残しているのでないかと思い、多くの文献を調べたそうだ。しかしそれらしいことに関する記述を見つけることはできなかったのだが、マイスター・エックハルトだけがそれについて触れていた。

この部分に関して、先の彼女の本から引用させてもらう。



エックハルトはこれを神の主体への「突入」と呼び、「神や真理の観念を越えたところに突入し、真と善との根拠、すべてのものの原初の原初に達する」と言っているのです。

<中略>

私はエックハルトもこの旅をして、その結果わかったことをあからさまに述べすぎたので、教会の譴責(けんせき)を招いたのだと思います。これは、一般の人々がエックハルトの説教を聞いて、神と人間との本質的な一致をそのまま信ずるのを恐れる神学者がいたためでしょう。それはとにかく神学的な禁忌だったからです。しかし神学のために言っておきますが、譴責を受けたとはいえ、エックハルト自身神学者で、自分の考えに教会の教義に反するようなものは何もないと思っていたことは確かです。エックハルトは、自分が現実の体験で到達したのは、神学の目指す「真理」にほかならず、トマス・アクィナス(『神学大全』の著者)が沈黙を守って触れなかったことで、自分はそれをはっきり述べただけであると思っていたでしょう。

<中略>

人間と神との合一を言っても、本質的な意味ではないとするのが正統的で、本質的合一を言えば異端になるのです。これは単に表現の違いではなく、体験の違いなのですが、本質的な合一は、創造者と被造物とを本質的に区別する神学とは相容れないのです。たしかに被造物が神と合一するということは、神にとって必然のことではありません。しかし、合一の体験ではそれが本質的なものとなり、神性ばかりでなく神の本体に与(あずか)ることになるのです。


これを読めばわかるように、エックハルトも「神との合一を越えた人」であった。実際は越えるというより、神も自分も何もかもが一つにすぎないのである。

エックハルトも体験したように、人間と神とを隔てるものがなくなれば、神秘家は神を見失なう。エックハルトは当時宗教裁判にかけられ、死刑にこそならなかったものの、彼の死後、すべての書物が焼き払われた。それは、教会がこのような発言を不遜と感じたというより、、神も人も本来まったく同じものであるなどということを言われた日には、神の権威も、その威光で成り立っている教会の権威も失墜してしまうことを恐れたからだろう。そのせいもあり、長い間エックハルトは教会の組織から葬り去られていたが、その後、教会そのものによって、トマス・アクィナス等に並ぶ学聖として祝福され、復活している。

バーナデット・ロバーツは、子供の頃から西洋の哲学やキリスト教の文献に親しんできたため、調べたものが西洋のものに限られていたが、東洋では昔からそれほどめずらしいものでもなかった。一遍上人も「よろず生きとし生けるもの、山河草木、ふく風たつ浪の音までも、念仏ならずといふことなし」(『一遍上人語録』)と言っている。一切が阿弥陀仏のはからいであり、生きとし生けるものがすべてそのままの姿で仏である言っている。

古代インドのバラモン教の梵我一如(ぼんがいちにょ)でも、宇宙の最高原理であるブラフマン(梵)が真実の自己であるアートマン(我)と同じものだとわかることが解脱であると考えられていた。

なんにせよ、エックハルトやバーナデット・ロバーツが気づいたことを西洋の人が受け入れることは、当時の教会がそうであったように、ある意味、恐ろしいことであるのかもしれない。しかし、これを事実として受け入れると、今までよくわからなかったものが次々とわかってくる。例えば「祈り」である。

人がイメージしたことや、強く祈ったことは大抵現実になる。遠く離れた誰かに影響を及ぼすこともある。このような現象は、池に石を投げたとき波紋ができるが、そのようなものだと思えば納得できる。石が落ちた水面から波紋は広がって行き、池の端までたどり着く。大きな池なら最後は見えないくらいに小さくなるが、それでも端まで伝わる。私の体にある「エネルギー」または「それ」に、私の思考なり意識が作用し、波のようになり空間を伝わって行くと思えば、納得できる。実際、そうなのだろうと思う。

話が逸れるが、私自身はこのバーナデット・ロバーツの本を読んだのは2ヶ月ほど前のことである。以前から彼女の本のことは知っていたが、数年前より絶版になっており、手に入らなかった。それが、つい最近、2,3ヶ月前のことだが、私のホームページを通じてある方とご縁ができ、その方から先の本をお借りすることができた。



-----
注記:マイスター・エックハルト (Meister Eckhart)

マイスター・エックハルト(Meister Eckhart, 1260年頃 - 1328年頃)は、中世ドイツ(神聖ローマ帝国)のキリスト教神学者、神秘主義者。
エックハルトは、ドイツのテューリンゲンにて生まれる。タンバハという村で生まれたと推測されている。 パリ大学にてマイスターの称号を受ける。トマス・アクィナス同様、同大学で二度正教授として講義を行った。 ドミニコ会のザクセン地方管区長やボヘミア地方副司教等を歴任した。
-----

参考サイト:
マイスター・エックハルト (Meister Eckhart)

エックハルトは1260年頃ドイツで生まれた。亡くなったのは1328年頃とされている。パリ大学神学部教授であり、また多くの修道院の建設にも精力的に活動した人であった。

これだけを聞くと、熱心な正統派キリスト教徒だと思うだろうが、実際には異端思想で宗教裁判にもかけられている。死刑にならなかったのが不思議なくらいの人物であった。

特に晩年の思想は、キリスト教からすれば極めて「危険思想」なのだが、深い瞑想体験と思索に裏打ちされた彼の発言は、単なる異端思想で処理できるようなものではなかった。教会の内部の者でさえ、彼と同じくらい深い瞑想体験をしている者であれば、彼の言っていることが真実であることはわかる。そのため処罰できなかったのだろう。しかし彼の死後、すべての著作物は焼かれてしまった。隠し持っていた者は見つかると極刑に処せられるくらい徹底したものであった。

これだけ厳しい「本狩り」がおこなわれても、真理の火を消すことはできなかった。ものとしての書物は消せても、彼の発言はエネルギーを持ち、連綿と生き続けた。現在、彼の死後、約700年になるが、彼の言葉は多くの人々の心に繰り返し絶えず生まれ続けている。

日本では長い間、エックハルトは一部の宗教学者によって研究されていたにすぎない。残念がら、そのような学者の書いた研究書を読んでもエックハルトを理解することにおいてはほとんど役に立たない。エックハルトをわかろうと思えば理屈ではなく、自分自身で体験するしかない。彼の残した説教集でも読み、心にとまった一節があれば、それを繰り返し味わい、体験してみるしかない。



この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« Bernadette Roberts (バーナ... | トップ | Bernadette Roberts (バーナ... »
最新の画像もっと見る

参考-話題 (opinion)」カテゴリの最新記事