「レスター・レヴェンソンのリリーシング」- I'm trying to show you the entire way.

Lester:「私は、あなたに全ての道を案内しようとしています。」 2015-10-04-09:45JST

サハジャ・サマディへの道-1~sahaja samadhi とは?

2021-06-01 16:00:07 | 目次付きの記事(1~10)
サハジャ・サマディへの道-1~sahaja samadhi とは? 

 今回のテーマは、「sahaja samadhi とは?」についてです。
 レスター・レヴェンソンの究極のゴール「トータルフリーダム」は、「サハジャ・サマディ (サハジャ・ジニャーニ)」です。 

 サハジャ・サマディ (sahaja samadhi) とは? 
 努力なしに、真我として在り続ける境地。自我を完全に消し去ったジニャーニの状態。 
 サハジャ・ジニャーニは、サマーディに在りながら、世界の中で自然に機能することができる。 
 彼は、自分自身と世界との間にも違いをみず、全てを真我の現れとして観ている。  

 レスター・レヴェンソンは、誰でもそこへいけるように、彼のメソッドを学ぶ生徒のために、シンプルに手順と内容をまとめました。それが、「6つのステップ」です。 

 ラマナ・マハルシが、この「サハジャ・サマディ」へいけるように、シンプルにまとめた内容が、「教えの精髄」です。

1. 想念とは誰のものなのか? 

ラマナ・マハルシの言葉より 

「想念とは、誰のものなのか考えてみなさい。それは、どこから現れたのでしょうか? 

 それは、意識である真我からに違いありません。それについて、漠然と理解するだけでも、自我の消滅を助けるのです。 

 そうすれば、無限の存在を実現することも可能になります。その境地の中には、個人は存在せず、ただ永遠の存在があるだけです。それゆえ、そこには、死についての想いも嘆きもないのです。」  

私は誰か? Who am I? より 

 「心」と呼ばれているものは、真我に内在する驚くべき力である。心は、すべての想念を起こさせる源である。想念がなければ、心のようなものは存在しない。それゆえ、想念が、心の本性である。想念がなければ、世界と呼ばれる独立した実体は存在しない。 

 深い眠りのなかに想念はなく、世界もない。クモが自分のなかから糸を出し、それをまた自分のなかに引き入れるのと同じように、心はそれ自身から世界を投影し、再びそれ自身のなかへ還元させる。真我のなかから心が外に出るとき、世界が現れる。それゆえ、世界が現れているとき、真我は現れない。真我が輝いて現れるとき、世界は現れない。 

 人が絶え間なく、心の本性を探究しつづけるならば、心は、真我をあとに残して死滅するだろう。「真我」と呼ばれているものは、アートマンである。心は、つねに何か粗大なものに依存することによってのみ存在する。それは、ひとりであることができない。微細身あるいは、個我 (ジーヴァ) と呼ばれているのは、心である。  

2. Talks with Sri Ramana Maharshi より 

Talks with Sri Ramana Maharshi 
6th March, 1938 1938年3月6日 の対話 
Talk 465. より抜粋。  

6th March, 1938 
1938年3月6日 の対話より 
Talk 465. 

Sri Bhagavan explained to a retired Judge of the High Court some points in the Upadesa Saram as follows:- 
Sri Bhagavanは、引退 (退職) した高等 (最高) 裁判所の裁判官 (判事) に、ウパデーシャ・サーラム (UpadesaSaram:教えの精髄) のいくつかの点について次のように説明しました。  

(1) Meditation should remain unbroken as a current. If unbroken it is called samadhi or Kundalini sakti. 
(1) 瞑想は、(水の流れのように) 流れとして、途切れることなく継続すべきです。途切れていない場合、それは、サマーディ (samadhi) または、クンダリーニ・シャクティ (Kundalini sakti) と呼ばれます。  

(2) The mind may be latent and merge in the Self; it must necessarily rise up again; after it rises up one finds oneself only as ever before. 
(2) 心 (精神:mind) は、潜在的であり、真我 (自己:Self) の中に、溶け込んでいるかもしれません。それは必然的に、再び立ち上がる可能性 (必要) があります。それが上昇した後 (それが立ち上がった後)、人は、以前と変わらない自分自身を見つける (以前と同じように、自分自身を見つけるだけです)。 

For in this state the mental predispositions are present there in latent form to remanifest under favourable conditions. 
 この状態では、精神的傾向 (精神的素因:mental predispositions) が潜在的な形で存在し、好ましい条件下で、再び発現します。  

(3) Again the mind activities can be completely destroyed. This differs from the former mind, for here the attachment is lost, never to reappear. 
(3) ここでは、心 (精神 :mind) の活動は、完全に破壊される可能性があります。これは (注:3番の心は)、以前の心 (注:2番の心) とは異なります。ここでは執着 (attachment) が失われ、二度と現れることはありません。 

Even though the man sees the world after he has been in the samadhi state, the world will be taken only at its worth, that is to say it is the phenomenon of the One Reality.  
 人は、サマーディ状態 (samadhi state) になってから世界を見ても、世界はその価値だけでとらえられます。つまり、それは一つの実在 (現実:Reality) の顕現の現象です。 

The True Being can be realised only in samadhi; what was then is also now. Otherwise it cannot be Reality or Ever-present Being. What was in samadhi is here and now too. 
 真の存在は、サマーディ (samadhi) でのみ実現できます。 当時は今もそうです。そうでなければ、それは実在 (現実:Reality) や永遠に存在する存在 (普遍の存在:Ever-present Being) になることはできません。サマーディ (samadhi) にあったものは、今ここにもあります。  

Hold it and it is your natural condition of Being. Samadhi practice must lead to it.  
 それを持ってください、そしてそれは、あなたの自然な存在の状態 (natural condition of Being) です。 サマーディ (Samadhi) の実践は、それにつながる必要があります。  

Otherwise how can nirvikalpa samadhi be of any use in which a man remains as a log of wood? He must necessarily rise up from it sometime or other and face the world.  
 そうでなければ、ニルディカル・サマディ (nirvikalpa samadhi:人が木の丸太のように座っているに) は、どのように役立つのでしょうか? 彼は必然的にいつかそこから立ち上がって世界と向き合う (世界と直面する) 必要があります。 

But in sahaja samadhi he remains unaffected by the world. 
 しかし、サハジャ・サマーディ (sahaja samadhi) では、世界の中にいながら、彼は世界の影響を受けません。
 

注記:サハジャ・サマディ (sahaja samadhi) とは? 
 努力なしに、真我として在り続ける境地。自我を完全に消し去ったジニャーニ (Jnani) の状態。 
 サハジャ・ジニャーニ (sahaja Jnani) は、サマーディに在りながら、世界の中で自然に機能することができる。彼は、自分自身と世界との間にも違いをみず、全てを真我の現れとして観ている。  

3. 参考サイト:信念 

“Beliefs Block Your Beingness”  
「信念があなたの存在を妨げる」  
 
Lester called them programs, our beliefs.  
He said that the mind is like a computer, where the programmer has fallen asleep. 
Computers were built by the mind, so they are reflective of each other.  
What a great analogy! 

レスターは、私たちの信念、それらをプログラムと呼びました。 
 彼は、心はコンピューターのようなものだと言いました。ただし、プログラマーは、眠りに落ちました (心は、プログラマーが眠ってしまったコンピューターのようなものだと言いました)。 
 コンピュータは、心 (頭脳:mind) によって建設 (構築) されました。したがって、それらは互いに反映されます (そうそれらは、お互いを反映しています)。 
 なんて素晴らしい比喩でしょう!  


When the mind is pure we allow Beingness to freely flow through us. In the Beingness state there is nothing to fear and everything to gain.  
We operate in the free state where everything flows effortlessly. What could be better than that? 

 心が純粋である場合には、我々は、存在 (Beingness) が、自由に私たちを通して流れることを可能にします。存在の状態 (Beingness state) では、恐怖とすべてを得るために、何もすることはありません 。 
 私たちは、すべてが楽に流れる、自由な状態で動作します。何がそれよりも良いのでしょうか? 

Here’s to releasing old warn out beliefs! 
使い古された信念を手放しましょう!  


After thought: What are beliefs really? 
If we tell ourselves something long enough or pile up the same thoughts and think them over and over they become beliefs.  
Once they are questioned, and seen for what they are and deleted from the download, we free ourselves of these burdensome beliefs! 

考えた (思考の) 後:本当の信念とは何ですか?  
 自分に言い聞かせたり、同じ考えを重ねたり、何度も考えたりすると、それが信念になります。  
 それらが、疑問視されたら、それらが、何であるかを確認し、ダウンロードから削除します (それらが質問され、それらが何であるかが確認され、ダウンロードから削除される)。そして、私たちは、これらの厄介な信念から、自分自身を解放します!  

注記:and deleted from the download,:ダウンロードから削除します  

note 
2021-05-21 12:41:50〜2021-06-01 16:19:43 記述しました。
2021-06-04 04:04:00 3. 参考サイト:信念 を追加しました。

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