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「われわれの一番大きい資源は、子供の心である。」by Walt Disney

京都 鷹峯界隈 20151128

2015年11月28日 | 御朱印巡り

寒くなってまいりました。朝は1℃(*'ω'*)
京都の紅葉作戦としてJR京都駅からダイレクトに行けない鷹峯に朝一で行くことで渋滞を避けようと。そうすると野洲発が6:23になりました。歳とるとできちゃうんだなぁ(*´з`)

光悦寺
1615年 家康が琳派の祖 本阿弥光悦 にこの地を与えた事が始まりと伝わる。本阿弥光悦は職人を集め工芸集落とした。死後に光悦寺とした。庭園には竹で組んだ有名な「光悦垣」がある。

開門8:00AMにお寺さんが門を開けて走ってるとこ。

光悦の墓

光悦垣

 

常照寺
日蓮宗の熱心な信者でもあった光悦は1616年土地を寄進し、寂照院日乾上人を招じ厳しい戒律の中300名の学僧の修行道場「鷹峰檀林」を開いたのが始まり。寛永三名妓といわれる吉野太夫菩提所でもある。

帯塚

吉野太夫の墓

 

源光庵
1346年 徹翁国師が開山した寺院でもとは臨済宗寺院として創建。1694年に曹洞宗の寺院に改められた。「迷いの窓」と「悟りの窓」がありそれぞれに仏教の概念、禅の境地の意味が込められている。本堂の天井は「血天井」。

「迷いの窓(丸)」と「悟りの窓(四角)」

血天井。撮影していいのは初めて。

なかなかわかりやすくてエグいです。

 

吟松寺
1626年 長門守 藤原守隆の次男である左伝次守伝の法名から「吟松寺」と号された。拝観寺院ではないが知る人ぞ知る紅葉の名所らしい。

ここで庭掃除しているばあさんがプレゼンされました。先週の夏のような暑さ&今週の冬のような寒さで寒暖差が激し過ぎて、紅葉はやられちまってキレイだったのは3日ほど。今年は最悪なシーズンらしいです。風情は充分伝わったけどね。

御朱印は3つで総計146。おみやは久多地区(比叡山のさらに北の県境付近)のちりめん山椒。現地価格で売ってました(ネット・観光地なら700円。今日は390円)


京都 宇治界隈 20151115

2015年11月15日 | 御朱印巡り

土曜日は雨。日曜日に天気予報を信じて小雨の中を傘なしで出発。
結果オーライでしたが、向かう途中に京都線人身事故で30分の遅れでスタート。
奈良線に乗り換えて宇治へ。野洲からだと1時間っすね('◇')ゞ

宇治橋
日本三古橋のひとつ。646年に初めて架けられた。古今和歌集や源氏物語に登場する。上流側には張り出した場所を設けてあり、これは橋の守り神である橋姫を祀る「三の間」である。豊臣秀吉がここから茶の湯を汲ませたという逸話がある。

紫式部さん おはようさん

 

放生院(橋寺)
603年 宇治橋を架けた折に聖徳太子が発願し秦河勝が建立した地蔵院が始まりとされる。後宇多天皇より宇治橋の管理をまかされ兵火や洪水で流失するたびに修理をしたので宇治橋の守り寺と呼ばれるようになったのが通称「橋寺」の由来。境内には「宇治橋断碑」という日本三古碑とされる石碑がある。

宇治橋断碑(有料なんでこの中です)

 

宇治上神社
創建不詳。菟道稚郎子は応神天皇の皇子で、父に愛され皇太子に立てられたが、兄である仁徳天皇と皇位を譲り合い自殺して譲ったと伝えられる。その応神天皇・菟道稚郎子命・仁徳天皇を祀る。本殿・拝殿は1060年頃の現存最古の神社建築で世界遺産。

 

宇治神社
応神天皇の離宮跡でもあり、皇子の菟道稚郎子命の宮居の跡と伝えられており死後にその神霊を祀ったのがこの神社の始まりといわれる。御祭神が道に迷われ難渋している時に、一羽の兎が現れ、御祭神を振り返り振り返り先導申し上げたという古伝により「みかえり兎」と言われ、道徳に叶った正しい人生の道を歩むよう教え諭しているもので、神様のお使いとされている。

ここがパワースポット

 

光源氏さん こんちわ

 

興聖寺
1233年 道元が深草に開創。比叡山延暦寺の弾圧を受け廃絶したが、1649年に現在地に復興。参道は脇を流れる谷川のせせらぎが琴の音に似ていることから「琴坂」と称し紅葉の名所。本堂には「鴬張りの廊下」と「血天井」(伏見城の戦いで徳川方の鳥居元忠らが石田方に攻められ、自刃した建物の血痕の残る床板が供養のために天井に貼られた)。

琴坂 宇治の紅葉は12月ですね。

 

平等院
1052年 藤原頼通が父 道長より譲り受けた別荘を仏寺に改め平等院とした。10円玉で有名な鳳凰堂は阿弥陀堂であり、華やかな建築美・仏像美である藤原摂関時代をしのぶことができる世界遺産。歴史好きには源頼政(平家打倒を掲げ宇治決戦で敗れる)が自刀した扇の芝と墓地もある。辞世の和歌「埋もれ木の 花咲くこともなかりしに 身のなる果てぞ 悲しかりける」

頼政のお墓

扇の芝

 

縣神社
古くは大和政権下における県(あがた)に関係する神社と見られている。1052年藤原道長が別荘を寺院である平等院とする際にその鎮守としたとされる。故事にのっとり、昔から女性の守護神として信仰され、良縁・安産・子授けにご利益。

 

橋姫神社
646年 宇治橋の守護神として瀬織津姫(橋姫)を勧請し橋の上に祠が作られたが1906年に現在地に移る。源氏物語では愛らしい姫の例えとして「橋姫」が登場。けど怖い姫で縁切りとしても有名であり宇治橋に祠があった頃には「橋を渡る恋人は別れる」とまで言われてた。

 

帰りに昼メシ代わりに宇治のお茶のぱんを買って帰りました(^^♪

本日の御朱印は8つで総計143。

宇治上神社は宇治茶の緑,紫式部の紫,季節限定 秋は紅葉の紅 などの素敵な御朱印です。

おみやは7代目御朱印帳を宇治神社にて(みかえり兎)

宇治上&宇治神社のおみくじうさぎ。このあたりは兎道だったそうです。


京都 東寺界隈 20151107

2015年11月07日 | 御朱印巡り

今日は曇空。上下ヒートテックで出掛けました(*'ω'*)

東寺
平安京遷都後まもない796年に建立。823年空海は嵯峨天皇から東寺を給預された。この時から国家鎮護の寺院であるとともに、真言密教の根本道場となった。密教美術の宝庫(もち撮影禁止)であり、仏像・建物・門とも国宝・重文がずらり。秋の特別拝観で五重塔の内部などたくさん観れた。

 

観智院
東寺塔頭。学僧であった杲宝が1359年創建。真言宗全体の勧学院と位置づけられ、多くの学僧を輩出している。宮本武蔵筆といわれる「鷲の図」「竹林の図」などがある。残念ながら絶賛工事中で特別公開はなし。

 

鎮守八幡宮
796年 東寺創建に際し王城鎮護を願って祀られた。810年 薬子の変(平城上皇vs嵯峨天皇)では、空海が嵯峨天皇の戦勝祈願を行い、これを鎮めたと伝えられ、南北朝時代には、東寺に陣を置いた足利尊氏が、鎮守八幡宮から飛んだ神矢によって勝利したと伝えられている。

 

六孫王神社
清和源氏始祖の源経基の邸宅の跡地であるといい、961年に経基が臨終の際に「死後は龍神となって邸内の池に住んで子孫の繁栄を祈るから、この地に葬るように」と遺言したという。963年に嫡子の満仲が現社地に経基の墓所を建立し、その前に社殿を造営したのが当社の創建であるとしている。

 

粟嶋堂宗徳寺
1394年に行阿上人が創建。「あわしまさん」と呼ばれ、女性を守る神様をお祀りし、「女人の一生の守り神」として古来より広く信仰される。参拝者はほとんどが女性。場違いだがみんなの水子のために代表して拝んでおきます。

粟島(あわしま)へはだし まいりや春の雨」娘の病気平癒祈願に訪れた与謝蕪村が詠んだ句です。

 

伊東甲子太郎外数名殉難跡
新選組最大にして最後の粛清「油小路の変(1867年)」で伊東甲子太郎他3名の御陵衛士が新選組数十名の隊士に襲われ討死した。佐幕か勤王か。この対立で命を奪う時代ってあらためてすごい。

 

本日の御朱印は5つで総計135。

 

おみやは 御菓子司 東寺餅 の 「東寺餅」「よもぎ大福」。イノダコーヒ茶缶。