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京都 寺社御朱印巡り2015

2015年12月20日 | 御朱印巡り

12/20で今年の京都御朱印巡りは終了。
3月くらいから初めて174体の御朱印を頂きました(*´з`)。

京都市内に限ればあと北と西の方がもう少し残っています。
来年は坂本とか湖東三山とかの滋賀県や奈良県にも進出しないとね。


京都 岡崎界隈 20151220

2015年12月20日 | 御朱印巡り

今朝は0℃ (@_@)。しかしいい天気で風もなく絶好の京都見物日和(*'ω'*)

岡崎神社
794年 桓武天皇の平安京遷都の際に王城鎮護のため平安京の四方に建てられた社の一つとされ都の東に鎮座するところから東天王と称される。かつて付近一帯が野兎の生息地であったことから兎が氏神様の神使とされる。安産の神として信仰が厚く、高倉天皇の中宮も安産祈願したという。


金戒光明寺
知恩院とならぶ格式を誇る浄土宗の大本山。1175年 法然上人がはじめて草庵を営まれた地。通称「黒谷さん」。会津藩主松平容保が幕末に京都守護職会津藩の本陣となり守護職御預かりとして新選組をその支配下に置き治安の維持にあたらせた。「アフロ地蔵」と通称される五劫思惟阿弥陀如来石像、平敦盛供養塔、お江供養塔、春日局墓所、山中鹿之助五輪塔などがある。


西雲院
金戒光明寺塔頭。1616年 法然が腰掛けていると紫色の雲がたつのを見たという伝説を持つ「紫雲石」を金戒光明寺から賜り創建。会津藩士352名の墓所の菩提寺でもある。侠客会津小鉄の墓もある。


新長谷寺
真如堂塔頭寺院。平安時代 九条家祖と言われる藤原山蔭卿が開基。吉田山は旧来神楽岡と呼ばれ、仏法有縁の霊地。 山蔭卿が邸宅を構え、そこに新長谷寺を建立。明治時代に真如堂境内に移転した。


真如堂
984年 比叡山の僧である戒算が夢告により比叡山常行堂の本尊阿弥陀如来を東三条院詮子の離宮に安置したのが始まり。本尊の阿弥陀如来は「頷きの阿弥陀」とも呼ばれており、円仁が「修行者を守護して下され」と祈ると首を横に振り、「衆生、特に女性をお救い下され」と祈ると頷いたという伝説がある。


宗忠神社
1850年 黒住教の教祖である黒住宗忠は没し1856年 朝廷から「宗忠大明神」の神号が与えられる。1862年 宗忠の門人の赤木忠春らが吉田神社より社地の一部を譲り受けて宗忠を祀る神社を創建。1865年 朝廷の勅願所とされ皇室や公家から篤い崇敬を受けた。幕末は天理教、黒住教、金光教の三つが強大な勢力を持っていた。


竹中稲荷社
吉田神社境内末社。創建不詳。在原業平の住居が此の地の側にあったと言われている事から少なくとも平安時代初期にはこの地にあった。在原業平は平安時代初期の歌人で伊勢物語の主人公とも言われている人物。平安時代のプレイボーイとも称され女性に大変人気があったらしい。


斎場所 大元宮
吉田神社境内末社。始まりの神(虚無大元尊神)を中心に祀り、そこから生まれ来る八百万の神々を祀る事で全国の神々を祀る社。昔左京室町にあった社を吉田兼倶が後土御門天皇の御代1484年に現地に造営し奉請の上遷座された。


吉田神社 本宮
859年 藤原山蔭が一門の氏神として奈良の春日大社四座の神を勧請したのに始まる。後に平安京における藤原氏全体の氏神として崇敬を受けるようになった。境内には大元宮や竹中稲荷社のほか料理の神様(山蔭神社)やお菓子の神様(菓祖神社)など様々なご信仰のお社がある。


知恩寺
もとは皇円阿闍梨の住房比叡山功徳院の里坊で、平安時代前期に円仁が創建したものと伝えられる。1331年 第8世善阿空円のとき京都に疫病が蔓延し後醍醐天皇の勅により七日念仏百万遍を行い疫病を治めたことから「百万遍」の号が下賜された。境内には土佐光起の墓、鳥居元忠の墓などがある。


本日の御朱印は11体で総計174。原則1寺社1体だがアフロ地蔵の御朱印が欲しかった^^;。


おみやは岡崎神社のうさぎのおみくじ。卯年なんで(o^^o)。あとひとつ大津の神社にあります(^o^)/


PC用LEDライト

2015年12月14日 | DIY・ツール

冬ボで買ったPC用のLEDライト到着。老眼がきてない大事な眼のために。
うーん かっこいい。いいものはうつくしい。


多重影解消対応で照度もJISのAA水準をクリアした山田照明のZライトだ(^_^)v

シーリングライト付けてLEDスタンド消灯


シーリングライト消灯でLEDスタンド点灯


これで安心してPC作業できるわ ( `ー´)ノ


京都 五条&西院 20151212

2015年12月12日 | 御朱印巡り

どうしたんだというくらい暖かい冬。晴れてるなら京都さ(^^♪
京都駅から地下鉄で五条へ。再び地下鉄で四条で阪急に乗り換えて西院へ。
帰りは最寄りのバスから再び駅(八条口だった)へ。
なんだかんだとテキトーに行けるようになるほど慣れてきたぞ(*^^)v

文子天満宮
菅原道真の乳母だった多治比文子の住居跡に建立された天満宮。道真公を「天神」としてわが国で最初におまつりをした神社であることから「天神信仰発祥の神社」と位置づけられ、北野天満宮の前身と言われる。


市比賣神社
795年 京都の左右両市場の守護神として、当時の左大臣藤原冬嗣公が現在の西本願寺に勧請され創建。1591年 秀吉の時代に現在の地に移転鎮座された。御祭神は全て女神様をお祀りしているところから女性の守り神とされ、女性全ての願い事にご利益がある。特に「女人厄除け」の神として厄除け女性の参拝者が全国から絶えない。


上徳寺
1603年 家康が阿茶局と息女の泰栄院との菩提を弔うために、伝誉一阿を開山に招請して建立。江戸時代より安産と子授けで知られた「世継地蔵」がある。


西院 高山寺
創建不詳。開基は善西。本尊は子安地蔵と呼ばれ、安産地蔵として信仰を集めた。足利義政夫人日野富子もここで祈願し義尚を生んだという。また地名の西院(さい)が賽の河原の賽に通じるため。子供を救う地蔵として信仰は厚い。


西院 春日神社
833年 淳和天皇が退位に伴い淳和院離宮に居を移すに際し、勅諚により奈良の春日四座大神を勧請し守護神とされ創建。淳和天皇の皇女崇子内親王が天然痘(疱瘡)を患われたとき、石に祈願をされたところ石が代わりに疱瘡を生じたちどころに内親王の病は治った「疱瘡石」がある。以来皇室より病気平癒・無病息災の守り神と崇められる。


西院 還来神社
西院春日神社境内摂社。ご祭神は淳和天皇の皇后・正子内親王。874年 内親王が火事に見舞われた時、無事に逃げ戻ってくることができたことから還来大神として知られており「還来信仰」が生まれた。還来大神は物事をすべて元に戻すと言われ、旅行、健康、安全などにご利益があるとされている。先の大戦中には、出征兵士の無事帰還を願う家族が多数訪れたという。


西院 野々宮神社
西院春日神社御旅所。平安時代に伊勢神宮の斎王に選ばれた皇女が伊勢へ赴かれるまでの間、心身を清められるための潔斎所で ある「野々宮」が築かれた聖地。各地に残る「野々宮」の名称はこの地が発祥とされる。


本日の御朱印は6つで総計163。


おみやは億万長者予約券ジャンボ30ミニ3。8代目御朱印帳は西院春日神社でデザイナーコラボのいかしたやつ(o^^o)


京都 東山界隈 20151205

2015年12月05日 | 御朱印巡り

今日は東山なのでまわるとこいっぱいでした。人が多いと思ってJR&地下鉄を使ったんですが、あまり多くなかったです。ちょっとシーズン過ぎたのかなぁ。私には関係ないですが(*'ω'*)

金剛寺
奈良時代 行基が東岩倉山の一切経谷に阿弥陀堂を創建したのが始まり。行基は丈六の阿弥陀如来像を彫ったと伝えるが応仁の乱で荒廃し首だけになった。これを信者が見つけ出し粟田の地に仮堂を立てて祀った。1602年 岌年上人が再興し 1713年には本尊が修復された。本堂は1730年の建立。


鍛冶神社
粟田神社参道の途中にある末社。刀工 三条小鍛冶宗近・粟田口藤四郎吉光と、作金者の祖である天目一筒神を祀る。このあたりは平安から鎌倉にかけて、多くの刀匠が住む鍛冶町として賑わっていた。この場所は三条小鍛治宗近の旧宅であったと伝えられている。


粟田神社
876年 清和天皇の命を受けた藤原興世が大己貴命のお告げで牛頭天王を祀り創建。厄除け・病除けの神として、また東山道・東海道の出入口に位置するため、旅立ち守護・旅行安全の神としても親しまれている。境内からは叡山より愛宕山まで北山を望る。


青蓮院
最澄が比叡山に建てた住坊「青蓮坊」が発祥で鎌倉時代に移った。平安末期より皇室の門跡寺院(住職が皇室或いは摂関家)。1181年に親鸞がここで得度しお手植えの大楠が残る。1788年 大火によって御所が炎上した際に、後桜町上皇は青蓮院を仮御所としてご避難された。


知恩院
浄土宗総本山。浄土宗の宗祖・法然が現在の知恩院勢至堂付近に営んだ草庵が起源。1234年 法然の弟子にあたる勢観房源智が四条天皇から「華頂山知恩教院大谷寺」の寺号を下賜された。徳川将軍家から庶民まで広く信仰を集めた。2回目だが前回国宝三門が工事中だったのと今年限定の家康公 四百回忌 限定朱印を頂きために再訪。


安養寺
法然・親鸞両上人の念仏発祥の地、「吉水草庵」旧跡として知られる。元は桓武天皇の平安遷都の際、都の鎮護のために、最澄が創建した天台宗寺院。その後は青蓮院に属し、平安時代末期になって、法然上人の浄土宗布教の中心地「吉水草庵」「吉水禅坊」として日本仏教史にその名を留める。


長楽寺
805年 勅命により最澄が延暦寺の別院として創建。。平家物語-灌頂巻によると1185年 高倉天皇の中宮で安徳天皇の生母である建礼門院(平徳子)が壇ノ浦の戦いの後、この寺で出家したと伝えられる。『平家物語』ゆかりの寺であることから、安徳天皇画像、安徳天皇の衣をもって作ったと伝える幡、松久朋琳作の建礼門院彫像などがある。境内には建礼門院の毛髪塔と伝える十一重石塔、頼山陽、頼三樹三郎父子の墓がある。


円山公園
明治初年の廃仏毀釈の一環として、1871年 上知令によって土地が政府に没収、1886年 総面積約9万平方メートルの公園が設けられ、1887年 京都市へ移管され京都市初の都市公園となった。1912年 に小川治兵衛により池泉回遊式の日本庭園が作庭され現在の形となった。しだれ桜も有名。料亭や茶店、旧自由党員・今幡西衛らの尽力によって建てられた坂本龍馬と中岡慎太郎の銅像などもある。


八坂神社
656年 高句麗から来日した調進副使・伊利之使主の創建とされる。諸説あるが、祭神は古くから牛頭天王(およびそれに習合した素戔嗚尊)であったことは確実である。3回目だが摂社の御朱印を頂くため参拝。


悪王子社
八坂神社摂社。祭神は素戔嗚尊の荒魂。京都市下京区に「悪王子町」と「元悪王子町」と名の付く町があり、昔はこの町内に祀られていた。現代語の「悪」とは意味合いが少し違い、昔は「悪=強力」と言う意味合いもあった。1877年 八坂神社で祀られる様になった。お隣には女性に大人気で「美容水」もある美御前社がある。


満足稲荷神社
秀吉が文禄の役の戦勝を稲荷大神に祈願したところ、霊験が著しかったので、伏見城内に城の守護神として稲荷社を祀ったのが始まりと伝える。社名は秀吉が稲荷大神の霊験に満足したためという。1693年 綱吉が現在地に移った。商売繁昌・五穀豊穣の神として崇敬を集める。

 

帰り道に「明智光秀の塚」に寄って、近くの餅寅さんで光秀饅頭などをおみやげ。


本日の御朱印は11で総計157。いい天気で気持ち良かった。