道化教室で紙芝居を教えてもらったのをきっかけに
年に数回、子ども達が通ってる小学校で紙芝居をしている。
以前、「のばら」という紙芝居をした。
この紙芝居の登場人物は2人。
老兵士と若い兵士。
敵国同士の兵士の交流を描いており
戦争の残酷さ、不条理さが痛いほどに伝わってくる物語だ。
ダイレクトに心の奥に届いてくる。
すばらしい作品だと思う。
初めて、この作品に触れたとき
戦争に対する激しい怒りが湧いてきた。
私にとって大切な作品なので、心を込めて演じた。
登場人物は老兵士と若い兵士なので
老兵士は老兵士っぽく演じた。
熱演していると、先生が
「息が苦しそうだから、かわって読みますよ」
と声をかけてこられた。
迫真の演技(のつもり)だったのに・・・。
傷ついた。
それまで、先生に「紙芝居のプロですね!」とか言われて
「いやいや~、この台座と柏木
(紙芝居を道化教室でやったときに買いました)
があるからですよ~。
これで上手に聞こえるんです。」
とか何とか自分では言ってたし、
心からそう思っていたつもりだったが、
どうやら恥ずかしいことに、いつの間にか
「自分はうまい」という自惚れがあったらしい。
自惚れがあったから
先生に「かわりますよ」
と言われたとき傷ついた。
傷ついたことに気づかず、無意識に傷を隠そうとしたから
「いえ、大丈夫です」
と真面目に返すことしかできなかった。
私が無理をして頑張っていると勘違いしたのだろう。
よかれと思って先生は再度
「無理をなさらないで。しんどそうだからかわりますよ」
と声をかけてこられた。
またしても傷つけられる私。
「やめてあげて!私のHPはもうゼロよ!」
などと遊ぶ心の余裕もなく
「いえ、大丈夫です」と真面目に再度答える私。
後から思えばコメディやんか!
となるけど、そのときは、そのおもしろさに気づけず
自分の自惚れにも、自分の傷にも気づけず
何だかもやもやして苦しかった。
帰宅後、何でもやもやしてるんだろうと考察して気づいた。
自惚れてたから傷ついて
その傷を無意識に隠そうとしたから、もやもやしてたんだと。
あのとき、自惚れがなければ
あのとき、自惚れて傷ついてるんだと自分の傷に気づけていたら
「いやいや、先生、あたしゃあねえ、
必死で老兵士っぽく演じてるつもりなんですわ。」
と言えて心から笑えたように思う。
以下、樹木希林さんの言葉
「役を演じると、1つの役の生きてきた人生を感じる
ああ、この人はこうやって生きてきたんだ。
そこへこういうふうに入ると夫に対してこう思うのか、
子供に対してこう思うのかと。
私が若いころは年取った人は、
みんな成熟してるのかと思っていたけど
何のことはない、ちっとも成熟してない、煩悩、
ねたみ、欲、プライド
そういうものがあるわけだから、
そういうのがこの人の人生でどこかな~
と見ていくと、どの役もおもしろい。」
相手の言葉に反射的に強く反応してしまうところや
傷ついたことでオンナウタイムで遊べないところに
私のプライドや自惚れみたいなものが
あるんだろうなと思った。
何だかモヤモヤするときに
私の自惚れはここだったのか~と見ていくと
おもしろくなるなあと感じた。
同時に自惚れとのつきあい方も
人間関係と同じだと感じた。
どういうことかと言うと・・・
自惚れの声に気づかないと
「八平さんったら、聞こえてないのかしら?」と
自惚れの声は大きくなる
正体不明の苦しさが募る
何だか不愉快になる
自惚れの声に気づいて
「こんにちは、自惚れさん」と挨拶すると、
自惚れの声は小さくなる
自惚れの話をじっくり聴き、自惚れを理解すると
自惚れと仲良くなる
おもしろくなる
自惚れとのつき合い方も人間関係と同じだわ~
「一は全、全は一」だね!
と思い、数人にこの長い物語を伝えてみた。
「なるほど~」と感心する人
「ちょっと何言ってんのかわかんない」と不可解な眼差しを送ってくる人
「八平すげえ!」とリスペクトの眼差しを送ってくる人
「常々思ってたけど、ほんまにあほう」と褒めてくれる人(照れるわあ~)
前のめりの姿勢から急に背もたれにもたれ出す人
(「前のめりの姿勢で聴くべきである」と厳重注意しといた)
いろんな人がいて、いろんな反応があって、どれもおもしろい。
うっかり八平
年に数回、子ども達が通ってる小学校で紙芝居をしている。
以前、「のばら」という紙芝居をした。
この紙芝居の登場人物は2人。
老兵士と若い兵士。
敵国同士の兵士の交流を描いており
戦争の残酷さ、不条理さが痛いほどに伝わってくる物語だ。
ダイレクトに心の奥に届いてくる。
すばらしい作品だと思う。
初めて、この作品に触れたとき
戦争に対する激しい怒りが湧いてきた。
私にとって大切な作品なので、心を込めて演じた。
登場人物は老兵士と若い兵士なので
老兵士は老兵士っぽく演じた。
熱演していると、先生が
「息が苦しそうだから、かわって読みますよ」
と声をかけてこられた。
迫真の演技(のつもり)だったのに・・・。
傷ついた。
それまで、先生に「紙芝居のプロですね!」とか言われて
「いやいや~、この台座と柏木
(紙芝居を道化教室でやったときに買いました)
があるからですよ~。
これで上手に聞こえるんです。」
とか何とか自分では言ってたし、
心からそう思っていたつもりだったが、
どうやら恥ずかしいことに、いつの間にか
「自分はうまい」という自惚れがあったらしい。
自惚れがあったから
先生に「かわりますよ」
と言われたとき傷ついた。
傷ついたことに気づかず、無意識に傷を隠そうとしたから
「いえ、大丈夫です」
と真面目に返すことしかできなかった。
私が無理をして頑張っていると勘違いしたのだろう。
よかれと思って先生は再度
「無理をなさらないで。しんどそうだからかわりますよ」
と声をかけてこられた。
またしても傷つけられる私。
「やめてあげて!私のHPはもうゼロよ!」
などと遊ぶ心の余裕もなく
「いえ、大丈夫です」と真面目に再度答える私。
後から思えばコメディやんか!
となるけど、そのときは、そのおもしろさに気づけず
自分の自惚れにも、自分の傷にも気づけず
何だかもやもやして苦しかった。
帰宅後、何でもやもやしてるんだろうと考察して気づいた。
自惚れてたから傷ついて
その傷を無意識に隠そうとしたから、もやもやしてたんだと。
あのとき、自惚れがなければ
あのとき、自惚れて傷ついてるんだと自分の傷に気づけていたら
「いやいや、先生、あたしゃあねえ、
必死で老兵士っぽく演じてるつもりなんですわ。」
と言えて心から笑えたように思う。
以下、樹木希林さんの言葉
「役を演じると、1つの役の生きてきた人生を感じる
ああ、この人はこうやって生きてきたんだ。
そこへこういうふうに入ると夫に対してこう思うのか、
子供に対してこう思うのかと。
私が若いころは年取った人は、
みんな成熟してるのかと思っていたけど
何のことはない、ちっとも成熟してない、煩悩、
ねたみ、欲、プライド
そういうものがあるわけだから、
そういうのがこの人の人生でどこかな~
と見ていくと、どの役もおもしろい。」
相手の言葉に反射的に強く反応してしまうところや
傷ついたことでオンナウタイムで遊べないところに
私のプライドや自惚れみたいなものが
あるんだろうなと思った。
何だかモヤモヤするときに
私の自惚れはここだったのか~と見ていくと
おもしろくなるなあと感じた。
同時に自惚れとのつきあい方も
人間関係と同じだと感じた。
どういうことかと言うと・・・
自惚れの声に気づかないと
「八平さんったら、聞こえてないのかしら?」と
自惚れの声は大きくなる
正体不明の苦しさが募る
何だか不愉快になる
自惚れの声に気づいて
「こんにちは、自惚れさん」と挨拶すると、
自惚れの声は小さくなる
自惚れの話をじっくり聴き、自惚れを理解すると
自惚れと仲良くなる
おもしろくなる
自惚れとのつき合い方も人間関係と同じだわ~
「一は全、全は一」だね!
と思い、数人にこの長い物語を伝えてみた。
「なるほど~」と感心する人
「ちょっと何言ってんのかわかんない」と不可解な眼差しを送ってくる人
「八平すげえ!」とリスペクトの眼差しを送ってくる人
「常々思ってたけど、ほんまにあほう」と褒めてくれる人(照れるわあ~)
前のめりの姿勢から急に背もたれにもたれ出す人
(「前のめりの姿勢で聴くべきである」と厳重注意しといた)
いろんな人がいて、いろんな反応があって、どれもおもしろい。
うっかり八平
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