あじさい物語

七色の紫陽花のような日々の心模様
       

お義兄様、やすらかに。

2016-05-29 10:10:10 | Weblog
おはようございます。

5月24日に熊本の義兄(夫の姉の夫です)が、亡くなりました。
享年70歳。
病気でしたが、幾分にも、急でした。

銀行の支店長を務めあげ、多くの方に慕われ、娘たちを医師と教師に育てました。
やさしくてユーモアたっぷりの前向きな義兄でした。

亡くなる前に、私たち兄弟(連れ合いも)、甥、姪、親戚、親しき人の名前を一人ずつあげて思いを話したりして「よろしく伝えて」と言ったとの由。

私についてもR枝ちゃんから義兄のありがたい言葉を聞いて、恐縮しながら、頭を下げるばかりでした。

たまたま24日が義姉の誕生日だったのですが、その前日「空からお祝いするから」と。

気分が悪くなったときに、帰宅していた義姉に「危篤だから病院に来て」と携帯から電話があったとのこと…。

そして、24日になって2時間後に旅立ちました。


夫と私と息子は、お正月に会ったのが最後でした。
あのとき、出かけようとしていた義兄たちに、会えて、よかった。
まさか、最後とは思わず…。

すべてのことが哀しく、悲しく、でも、義兄らしい、立派な最期だったと思うのです。

訃報を聞き、私と夫は、午後4時の飛行機で帰省しました。

その日はお通夜。
斎場に着けば、にこやかな立派な義兄の写真が花に囲まれていました。

翌日、25日の葬儀に次女も来ました。

朝、一番の飛行機に乗るために息子が厚木まで迎えに行き、次女は子どもたち代表で帰省しました。
幾分にも次女は義兄(おじさんになりますが)に、ひじょうにお世話になり、思いも深く…。

熊本は火葬して、それから告別式です。

9時半の火葬に間に合うかと思っていました。次女を、ひと目、お義兄様に会わせたいと思っていました。
あとで聞いたのですが、飛行機の出発が10分遅れたのにもかかわらず、定刻を2分過ぎて到着したとのこと。
すぐにタクシーで火葬場へ。火葬場は空港からタクシーで約15分。

私としては、慌てずに、でも、間に合えばいいなと…。

不思議です。

途中、私たちのマイクロバスは、お義兄様の乗っている車を待って、しばらく、道路に止まっていたのです。
マイクロバスが火葬場に着いたとき、目の前にタクシーが…。娘が到着していました。

間に合いました。

そして、お義兄様に次女は会えました。

なんでも、交差点で、お義兄様の乗っている車と行き逢ったとか…。

お義兄様が待っていてくれた…次女のためにとしか思えません。

「よく来てくれたね。ありがとうね。これからもがんばれ」と言っているように思いました。

葬儀では室蘭の長女、Dさん、Tちゃん、Cちゃん、Mちゃん、そして、息子連名の弔電が読まれました。
心のある温かい文面で、姪のH恵ちゃんたちが「感激した」と喜んでくれました。
孫のTくんのお別れの挨拶、義姉の挨拶に、お義兄様のお人柄がしのばれました。

空港への帰りに写した熊本の空です。



義兄は、空からきっとみんなを見守っていることでしょう。

いつものにこにこ笑顔で…。

告別式の日は義姉の家に泊まりました。

翌日はお寺参り。
しゃちほこのあるお寺として珍しい西念寺でした。お経のあとの手作りという精進料理の見事さ。

私達はそこから熊本空港へ向かいました。

2泊3日の熊本、とても長い気がしました。
充実していると長く感じます。

今回、お墓参り、宇土の高濱武蔵守逆修碑、実家のあと、河津桜の川べりなどへも行きました。
地震の酷さをあちこちで見ました。
早く地震がおさまるようにと思います。


26日の夜に帰宅して、27日、28日と家でゆっくりしていました。
ブログの更新がなくて心配してくださったS江さん、ありがとう。
元気ですよ。


お義兄様、ありがとうございました。

やすらかに…。



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