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石田明夫の「会津の歴史」

全国的な視野で見た戊辰・会津戦争の歴史です

北の関ヶ原1 猪苗代湖南、馬入峠の防塁跡

2006年09月25日 | 北の関ヶ原

慶長5年(1600)上杉氏築城 馬入峠の防塁

会津古城研究会長 石田 明夫

福島県岩瀬郡長沼町、郡山市湖南町 大型車通行不可 道狭し

060828_054 福島県の中央、猪苗代湖の南、郡山市湖南町をとおる国道294号線勢至堂峠の西に位置する県道馬入峠の頂上、標高865メートルに、慶長5年(1600)に上杉景勝が徳川家康の会津進攻に備えて築いた土塁と空掘、内枡形虎口の防塁跡があります。街道を挟んで227メートルあります。土塁の高さは2メートルから5メートル、空掘の幅は7メートル、土塁の上場は1メートルで、一部土塁の外側が二重土塁となっています。戊辰戦争でも会津藩軍が再利用しています。また、峠の会津側には、会津戦争時に掘った2人から3人用の銃座のようなざんごうがいくつかあります。

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