南会津町田島の鴫山城(しぎやまじょう) 長沼氏の城・直江兼続弟大国氏の城
会津古城研究会長 石田 明夫福島県南会津郡南会津町田島 会津若松市・那須塩原ICから1時間
中世から戦国時代、南会津の拠点は、長沼氏の田島、河原田氏の伊南古町、山ノ内氏の金山横田でした。各氏は、今でこそ産業は推定していますが、当時は材木や蝋燭(ろうそく)炭、そして隠れた重要な産物として金があったからこそ栄えていました。拠点となる山城の近くには金の鉱山がかつてありました。また、黒鉱と呼ばれたものは石英、亜鉛、鉛、わずかな銀と銀を含んだ鉱石で、南会津地方で重要な産物でした。南会津の要衝として田島があります。そこにある長沼氏の城が鴫山城です。長沼氏が築きましたが、現在の城は、蒲生氏による石垣の構築、大きな竪堀と二重土塁構築の上杉氏があります。特に大改修したのは慶長5年(1600)の徳川家康の会津進攻に対する上杉氏の防御線として直江兼続が大改修し、弟の大国但馬守実頼が配置されています。 会津の歴史は「考古学から見た会津の歴史」へ