天地人直江兼続27、会津の上杉謙信廟
会津古城研究会長 石田 明夫会津若松市 会津若松駅より車で10分 若松城内
慶長3年(1598)1月、秀吉から越後から会津へ移封となった上杉景勝。3月には会津へ入ります。8月には春日山から、謙信の遺骸も家来100人で会津へ運びました。そして、若松城内に仮廟所建て、安置したのです。若松城内には、謙信を安置するために、区画した場所を造りました。後に、その場所は、蔵が建てられています。城内はあくまでも仮安置の場所で、慶長5年には、盛大に23回忌法要をしています。その後、神指城の築城に合わせ、神指城の北に、本廟所を移転することになります。ただし、廟は建設途中で完成せず、建物は、取り壊され、慶長6年には米沢へ移されました。
会津の歴史は「考古学から見た会津の歴史」へ最新の画像[もっと見る]
- 戊辰・会津戦争2 孝明天皇の信頼と新選組誕生 7年前
- 会津の歴史40 会津の地名と神話の世界 9年前
- 会津の文化15 80年ぶりの米沢街道、桧原峠の通行 14年前
- 会津戦争9 南会津の蝉峠のざんごう跡 15年前
- 北の関ヶ原30 会津の前田慶次の屋敷 15年前
- 北の関ヶ原29 兼続も歩いた「米沢街道」 16年前
- 北の関ヶ原29 兼続も歩いた「米沢街道」 16年前
- 北の関ヶ原27 会津の上杉謙信廟 16年前
- 北の関ヶ原26 会津の林泉寺 16年前
- 北の関ヶ原25 米沢の前田慶次屋敷跡 16年前