石田明夫の「会津の歴史」

全国的な視野で見た戊辰・会津戦争の歴史です

会津の文化5 切支丹、飯盛山謎の洞窟

2006年11月30日 | 会津の文化

白虎隊の墓がある飯盛山にある謎の洞窟 会津若松市

会津古城研究会長 石田 明夫

会津若松市一箕町飯盛山  会津若松ICから車で15分、白虎隊の墓から徒歩30分

Photo_17  会津若松市一箕町には白虎隊の墓があります。飯盛山の山頂近くには、白虎隊が会津戦争でくぐった戸ノ口堰の洞門とは異なる謎の洞窟があります。山頂には4世紀初頭と思われる全長65メートルの前方後円墳があります。  山頂近くにある洞窟の長さは、奥まで約50メートル、最奥部は水没しています。洞窟内には階段や灯籠のような石造物があります。洞窟の断面は、四角状に掘削されていることから、鉱山ではありません。金などの鉱山とは異なる掘形をしていることや階段があることなどからキリシタンの洞窟と推定されます。現在、その洞窟は封鎖され入ることはできません。その洞窟に入ったことがある人は、今では約4人となっています。

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会津の歴史19  会津大塚山古墳

2006年11月26日 | 会津の歴史

4世紀中頃の前方後円墳「会津大塚山古墳」 会津若松市 国史跡

会津古城研究会長 石田 明夫

福島県会津若松市一箕町大字亀賀 会津若松ICから車で10分

061125_007 会津若松市の市街地北東の独立丘陵大塚山には、山頂に全長114メートルの会津大塚山があります。昭和39年に発掘調査が実施され鏡や直刀など337点が出土しました。出土遺物は国重文で、県立博物館に展示されています。墳丘全体の手入れはされていませんので、木が生い茂り市街地の一部が望めるだけです。山頂には石仏古墳から出土した5世紀の石棺があります。

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会津の文化4  冬木沢のおんば様

2006年11月25日 | 会津の文化

八葉寺姥堂にある「おんば様」 会津若松市河東町冬木沢 

会津古城研究会長 石田 明夫

福島県会津若松市河東町冬木沢  会津若松ICから車で15分

2 冬木沢の八葉寺は、会津の高野山と呼ばれる空也上人が開いた霊場です。阿弥陀堂は国の重要文化財、奥の院に奉納された木製五輪塔は国の民俗文化財に指定されています。奥の院の前に建つ姥堂におんば様が安置されています。祭礼の8月1日から1週間だけこの堂に安置されます。極楽浄土の奪衣婆で、結界の意味があります。

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会津の歴史18 葦名家花見ヶ森廟

2006年11月24日 | 会津の歴史

葦名氏16・17・18代の廟所「葦名家花見ヶ森廟」 会津若松市 市史跡

会津古城研究会長 石田 明夫

福島県会津若松市花見ヶ丘

06 戦国時代東北最大の力を誇った16代葦名盛氏。その墓は、居城黒川城(現在の若松城)の南東1200メートル場所に位置する小田山山麓の花見ヶ丘にあります。16代盛氏、17代盛興、18代盛隆の墓が並んであります。18代盛隆は、須賀川市の二階堂氏が人質となったものです。周辺には、殉死塚や他の領主の墓もありました。葦名氏の墓は、3代以外に、現在、北に50メートルの場所に一基残されています。五輪塔は江戸時代に、保科正之が造らせたものです。

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会津の城17  鹿垣

2006年11月22日 | 会津の城

天正13年(1585)伊達政宗に対抗し葦名氏が築城した防塁「萱峠の鹿垣」

会津古城研究会長 石田 明夫

福島県耶麻郡北塩原村大塩  会津若松市ICから40分

061119_025 裏磐梯桧原湖の北西に位置する桧原から江戸時代の米沢街道(現村道)に伊達政宗の会津進攻に対抗して葦名氏が築いた防塁跡が標高850メートルの萱峠(大塩峠)にあります。長さ163メートル、伊達政宗方面に対し高さ20メートル、内側の会津方面で5メートルの高さを持つ防塁で、柵が築かれていました。戦国時代の大規模な防塁は全国的にも珍しいものです。

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