石田明夫の「会津の歴史」

全国的な視野で見た戊辰・会津戦争の歴史です

北の関ヶ原29  兼続も歩いた「米沢街道」

2008年07月29日 | 北の関ヶ原

天地人直江兼続30、直江兼続が歩いた「米沢街道」  

会津古城研究会長 石田 明夫

裏磐梯 福島県耶麻郡北塩原村桧原 磐越自動車道猪苗代磐梯高原から30分 

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0807_031_2 大河ドラマ、天地人「直江兼続」が平成21年に放映されるのを機会に、会津と米沢を唯一結んでいた「米沢街道」(米沢からは「会津街道」という)を歩く、米沢市と北塩原村の交流会「旧会津・米沢街道ワンデーマーチ」が7月27日ありました。米沢市長さんや北塩原村長さんをはじめ、それぞれ、限定50人の参加者により、約8キロを歩き、米沢街道の峠頂上で合流し、交流を深めました。
米沢街道は、直江兼続や上杉景勝も歩いた街道、慶長5年(1600)の関ヶ原後、会津120万石から米沢30万石に減封された上杉家。慶長6年(1601)の8月から11月にかけては、2万人から3万人の上杉家臣団が、会津から米沢へこの街道を通り、米沢に移りました。
標高1096メートルの旧街道の峠頂上には、境の塚(壇)が東西にあります。写真は、米沢街道桧原峠の頂上で背後は、境塚。米沢市長と北塩原村長です。

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