石田明夫の「会津の歴史」

全国的な視野で見た戊辰・会津戦争の歴史です

会津の城31  若松城の本丸跡1

2008年05月14日 | 会津の城

若松城1 若松城本丸「本丸跡1」

会津古城研究会長 石田 明夫

1502_5本丸跡は、昭和25年3月に会津若松市が戦後復興のため県営競輪場を誘致し、南北方向に長い楕円形のバンクが建設したことから掘り返されています。そのため現在の地表から1メートル以上深く掘られたため本丸御殿跡などの建物跡の遺構は、ほとんど残されていません。わずかに、茶室などの周辺部の遺構が残されているだけだす。建物跡については、戊辰戦争後にすべて取り壊され、一部は移転されています。現在では、茶室麟閣に関する床柱や御三階の建物が残され、茶室は茶室のあった場所に平成2年復元されています。写真は昭和40年にコンクリートで復元された5層の天守閣です。

会津の歴史は「考古学から見た会津の歴史」へ

会津の城30  「会津路 武士の世の裏磐梯」

2007年09月11日 | 会津の城

 裏磐梯に残る戦国時代の風景  山城と金山を賭けた戦いの内容    

会津古城研究会長 石田 明夫

福島県耶麻郡北塩原村 磐越道猪苗代磐梯高原ICから30分 裏磐梯

             ページをめくるだけで分かる戦国時代の裏磐梯
  裏磐梯の北塩原村には、東日本を代表する戦国時代の山城が多数現存。全体の編集、航空写真以外の写真、イラスト、実測、トレース、文献の解説については、考古学の専門を生かして石田明夫が担当。金山の説明は山師で鉱山専門の佐藤一男が担当。 東北初、伝説や逸話、道順、見易さ、専門性を追求し、専門的なガイドブックともなる新しいスタイルの地域の歴史報告書です。税抜き1,800円です。申し込みは、石田まで。 100ページの内容、
特徴は次のとおりです。
①築城年代が明確。②使用期間も明確。③200㍍を越す大規模な城で保存がよい。
④境目の城の特徴がある。⑤葦名氏と伊達政宗の城がある。⑥石積石垣の城がある。
Photo_31 1.「戸山城」 山城
 永禄7年(1564)穴沢氏築城
 全国最高位置(標高1037メートル)
2.「柏木城」 山城
 天正12年(1584)葦名氏築城
 戦国時代で東北最大の石垣を持つ城
 若松城の2倍の面積を有する大規模さ
3.「桧原城」 山城
 天正13年(1585)に伊達政宗築城
 外堀(郷構)が現存。
 二重虎口で土造りの城
4.政宗、穴沢一族を皆殺しの「岩山城」
5.長さ163メートルの防塁「鹿垣」
6.政宗の侵攻には、1000戸を有した大金 山の「桧原金山」が原因の一つ
 今でも砂金が採れる。それらについて、詳しく解説。 

会津の歴史は「考古学から見た会津の歴史」へ

会津の城29  若松城西出丸の建物配置

2007年03月05日 | 会津の城

鶴ヶ城西出丸の江戸時代建物配置。  会津若松市 国史跡

会津古城研究会長 石田 明夫

会津若松市追手町1-1

Scan20006_1 若松城は、葦名氏が南北朝時代の文和3年(1354)に築いた小高木館、小田垣館が最初で、至徳元年(1584)に改修され黒川城と呼ばれるようになり増す。天文13年(1544)に大改修され、伊達政宗の改修、蒲生氏郷の文禄元年(1592)の天守閣と高石垣の大改修、蒲生秀行の慶長年間の改修、寛永18年(1641)の加藤明成の西出丸、北出丸、廊下橋西側の石垣改修があり、江戸時代には10回以上の改修がされています。西出丸には、建物が図にあるように配置されていました。この図は、若松県があった明治2年から6年の間に描かれたもので、江戸時代の建物取壊し以前を示しています。明治時代に新たに建てられた建物は新規建物と表記されています。

会津の歴史は「考古学から見た会津の歴史」へ

会津の城28 若松城内の年号石垣2

2007年03月03日 | 会津の城

鶴ヶ城にある天保3年の刻字がされた石垣     会津若松市 国史跡

会津古城研究会長 石田 明夫

会津若松市追手町1-1

070303_048 若松城は、葦名氏が南北朝時代の文和3年(1354)に築いた小高木館、小田垣館が最初で、至徳元年(1584)に改修され黒川城と呼ばれるようになり増す。天文13年(1544)に大改修され、伊達政宗の改修、蒲生氏郷の文禄元年(1592)の天守閣と高石垣の大改修、蒲生秀行の慶長年間の改修、寛永18年(1641)の加藤明成の西出丸、北出丸、廊下橋西側の石垣改修があり、江戸時代には10回以上の改修がされています。城内には、2ヶ所年号ある石垣があります。写真は天保3(1833)の改修時に刻字された石垣です。2ヶ所の刻字された石垣は、写真に撮ることは難しい位置にあります。

会津の歴史は「考古学から見た会津の歴史」へ

会津の城27  裏磐梯の戸山城

2007年02月06日 | 会津の城

東北最高位置にある大規模な「戸山城」

会津古城研究会長 石田 明夫

裏磐梯桧原 猪苗代ICから冬は1時間

070112_022 標高1037メートルの山頂に、1564年に葦名氏家臣の穴沢氏が築いた南北300メートルの大規模な山城。東北では最高位置にある大規模な城で、全国でもこれ以上高い場所に位置する大規模な城は発見されていません。冬は3m以上の積雪になり、現在でも桧原湖では1メートルの積雪があります。手前の南側が大手になります。山頂には熊の冬眠している穴がありますので、一人では行かないように。

会津の歴史は「考古学から見た会津の歴史」へ