石田明夫の「会津の歴史」

全国的な視野で見た戊辰・会津戦争の歴史です

会津戦争9  南会津の蝉峠のざんごう跡

2009年11月14日 | 戊辰・会津戦争

        天栄村蝉(せみ)峠に残る会津戦争のざんごう跡

会津古城研究会長 石田 明夫

112_3 南会津と福島県の中通りとを結ぶ、岩瀬郡天栄村湯本、国道118号線を南会津郡下郷町から羽鳥湖へ抜ける「蝉(せみ)峠」頂上に戊辰戦争のざんごう跡が残っています。ただし、江戸時代の街道のため、車ではいけません。村道から江戸時代の峠までは、幅1間の道を歩くもので、途中道は分からなくなります。急な斜面を約40分登ると峠になります。文献には、書かれていますが、場所が確認され、正確に実測されたのは今回が初めてです。ざんごうは、峠の頂上からやや東側に位置し、南北方向にざんごうが掘られています。大きさは、南北約20メートル、東西約20メートルの範囲に、土塁とざんごう、大砲を据えたとみられる台場跡は石を積み上げています。土塁は、高さ約1.2メールあり、ざんごうの深さは約70センチありました。規模としては、大きいものではありません。現地は、クマが居るので、一人ではいかないでください。石田発見。

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北の関ヶ原30  会津の前田慶次の屋敷

2009年11月01日 | 北の関ヶ原

  会津にだけ、前田慶次郎の子孫が住んでいます

会津古城研究会長 石田 明夫

08071_089700福島県 喜多方市塩川町には、「花の慶次」で知られる。前田慶次郎の子孫が住んだ屋敷跡があります。直系は16代になり、現在は、会津若松市に住んでいます。前田慶次郎の屋敷は、前田慶次郎の二男が会津で婿養子に入り、以後前田に改称しています。写真は前田慶次の屋敷跡。子孫がいるのは、会津だけです。慶次郎は、米沢市堂森でなくなっています。

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