宮崎駿は、大人向けの映画を作ってきた反省から、初めて子ども向けの作品を作ろうと考える。「となりのトトロ」は幼児向けや低学年向け、「魔女の宅急便」は思春期の女の子向けといったところか。
「紅の豚」は監督の飛行機好きを反映した作品といえる。のちに宮崎はこの作品を「モラトリアム映画だった」と反省するのだが、この発言は興味深い。映画にはメッセージが必要だという認識を新たにしたからでは、と僕は見ている。
「千と千尋の神隠し」は、単純に見ると少女の成長物語だ。川の神様にゴミ問題、カオナシにニートや引き籠もりの問題を重ねているようにも見える。ただ本作はどうも「死」のイメージが強い。豚にされ食べられちゃうかもしれない両親。血を流し、息も絶え絶えのハク竜。そしてあの主題歌…。
それもその筈、主題歌「いつも何度でも」は、元々違う作品あてに作られたのだ。
「煙突描きのリン」。地震で廃墟となった町に、壊れずに残った銭湯。その煙突に絵を描く少女リンの話。映画化はされなかったが、湯屋とリンという名前、そして歌が「千と千尋」に引き継がれた。
この作品のきっかけは、勿論阪神の震災だろう。
続く「ハウルの動く城」では、戦争の狂気が語られた。為政者に協力し、ついには人の心を無くす魔法使いたち。ハウル自身もまた、心をなくし怪物へと墜ちて行く。おそらくは9.11同時テロと、それに続く中東での戦争が動機となったはずだ。
宮崎駿も年をとった。長編アニメを手掛ける気力、体力はギリギリだ。そんな彼が、「手書きに戻る」などのぬるい理由だけでポニョを作るはずがない。命をかけるような意気込みがあってしかるべきだ。宮崎駿の作品の変遷を追えば、そのことは必然ともいえる流れである。
が、そのメッセージを彼は声高に主張しない。作品の中に隠す。分かる者だけに分かるように……。
「紅の豚」は監督の飛行機好きを反映した作品といえる。のちに宮崎はこの作品を「モラトリアム映画だった」と反省するのだが、この発言は興味深い。映画にはメッセージが必要だという認識を新たにしたからでは、と僕は見ている。
「千と千尋の神隠し」は、単純に見ると少女の成長物語だ。川の神様にゴミ問題、カオナシにニートや引き籠もりの問題を重ねているようにも見える。ただ本作はどうも「死」のイメージが強い。豚にされ食べられちゃうかもしれない両親。血を流し、息も絶え絶えのハク竜。そしてあの主題歌…。
それもその筈、主題歌「いつも何度でも」は、元々違う作品あてに作られたのだ。
「煙突描きのリン」。地震で廃墟となった町に、壊れずに残った銭湯。その煙突に絵を描く少女リンの話。映画化はされなかったが、湯屋とリンという名前、そして歌が「千と千尋」に引き継がれた。
この作品のきっかけは、勿論阪神の震災だろう。
続く「ハウルの動く城」では、戦争の狂気が語られた。為政者に協力し、ついには人の心を無くす魔法使いたち。ハウル自身もまた、心をなくし怪物へと墜ちて行く。おそらくは9.11同時テロと、それに続く中東での戦争が動機となったはずだ。
宮崎駿も年をとった。長編アニメを手掛ける気力、体力はギリギリだ。そんな彼が、「手書きに戻る」などのぬるい理由だけでポニョを作るはずがない。命をかけるような意気込みがあってしかるべきだ。宮崎駿の作品の変遷を追えば、そのことは必然ともいえる流れである。
が、そのメッセージを彼は声高に主張しない。作品の中に隠す。分かる者だけに分かるように……。
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