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合間の博物館旅日記

博物館を回りながら日本各地を旅をする過程の壮絶な日記。(2005.4-9月)
旅終了後は適当に随時更新の予定。

自慢

2010-02-26 18:35:33 | Weblog
最近のコンビニはいろんな本がある。
「勉強をしろと言わずに子どもに勉強させる法」というのがあり、世の親も大変だなと思った。
かくいう僕は、これまで一度も親から「勉強しろ」と言われたことがない。そこは両親とも偉いなと思う。いわゆる教育ママとかとは正反対だった。
親はむしろ、男の子らしく泥んこになって外で暴れてほしかったようだが、意に反して女の子のように大人しく、部屋の中で遊んでいたから全く拍子抜けしたようだ。父親はキャッチボールとかしたかったようだが、肝心の子ども(僕のことですね)がやりたがらないので、諦めたらしい。そういう意味では親不孝だった。


では逆に、家で勉強していたかというとそうでもない。中学の三年間、予習復習と呼べるものはまずしなかった。それどころか、宿題にさえ手をつけなかった。
どうしていたかというと、学校で他の授業中にやっていたのだ。例えば3時間目に数学の授業がある場合、1・2時間目に机の下で数学の教科書を開き、宿題をこなしていた。1時間目が数学だった場合は、授業中に当てられそうな問題を片付けていった。結構スリリングだ。

勉強をせずとも成績は良かった。小学校の頃からそうで、三・四・五年と学級委員をやっていたし、先生の受けも良かった。何故か女子のお母さんがたに人気があり、家へ遊びに行くと「うちの子に勉強教えてあげてよ」と言われたりした。生涯でただ一度のモテ期だったかもしれない。

姉が二人いてお下がりの教科書をもらっていたせいで、妙なことを知ってたりした。
中学1年から塾に通い出したが、「2の平方を求めよ」という問いの「平方」の意味が分からず、√2(ルート2)と答えて先生を驚かせた。平方根は中3で習う内容だったのだ。

もっとも強烈に残る思い出は小6の家庭科の時間。お婆さんの先生が、よせばいいのに、教科書にも書いてない化学式についてしゃべり始めたのだ。
曰く、「一酸化炭素はCOで、二酸化炭素はH2O2です」と――。
すかさず松井君が手を挙げた。松井君はクラスで一番勉強のできる生徒だ。
「それは違うと思います」
2番目に勉強のできる田中君がそれに続いた。
「二酸化炭素の化学式はCO2です」
お婆さん先生は譲らない。何しろ正解がどこにも書いてないので、事態が進まないのだ。ほとんどの生徒は化学式が何なのかもわからないまま、緊迫する室内でボーゼンとしていた。
その時僕はどうしてたかというと、二人みたいに立ち上がって論争に加わったりはせず、周囲の友達に「そうだよ。確かH2O2は過酸化水素水だよ」と喋っていたのである。
のちに松井君と田中君は有名な私立中学へ進学。僕はというと、皆と同じに普通の区立中学に進んだ。
のちに高校へ行く時も、お金がないので都立に入るべく(当時は群制度だった)、1段階落として受験したものだった。

その頃親父はほとんど会社へも行かず、何故か昼間からビールを飲んでいたが、僕が滑り止めに受けた私立に特待生として合格した通知を受けて機嫌が良かったのを覚えている。多分、学費が免除と知って喜んだのだろう。

高校では、大学受験を決めてからそれなりに勉強した。しかし、睡眠時間を削るような勉強はしなかった。そんな勉強が身に着くはずがないからだ。
うちの親といえば相変わらずで、高3の夏、嫁に行った姉が身重で帰って来た時も、「麻雀をしよう」と何度も誘われた。別にその時間だけ勉強しなくても、受験の大勢には影響ないのだが、心を鬼にして断った。そういう甘い気持ちを断ち切るためにである。
それにしても、勉強しようとする受験生を麻雀に誘うなど、うちの両親もなかなか素晴らしい人格の持ち主だったと、冗談抜きに思う。
勉強していい大学に入りいい会社に入り、などという発想は根本からない家族だった。金よりも心の持ち方が大事、恥ずかしくない人間に、というのは、直接言葉で言われたことはなかったが、自然に身についていた。
それにしても、甘やかされて育ったせいか、少々お金に対して欲がなさすぎ、結果として赤貧にあえいでいるのは因果応報というしかないかもしれない。