関東の梅雨入り宣言。早いですよね~~。
準備はいいですか?
「梅雨」ということばには、長雨続き、散歩に行けない、洗濯物は乾かないなどとじめじめした憂鬱さを覚えるものです。
ですが、「雨」ということばの響きは、好きです。
心に宿ってる雨の情景は香りも良く、雨を歌った童謡でも、映画でも、絵本でも、文芸作品でも、雨を描くと、その時々の心そのものが象徴的に現われたりします。どこまでも美しく心に残るものです・・・。
実家の二階にあった私の部屋の窓から、雨を眺めることが好きでした。私の部屋には窓が四つありました。
東の窓二つからは、広々とした田園風景、南の窓からは、家の庭と、向こうに広がる林、北の窓からは、段々になった畑が見え、遠くを見ると、雨はその全てに吸い込まれていくようでした。雨は何色にでも見えます。
縁側から雨を眺めると、花も葉も雨にうたれ、うな垂れるものもあります。
けれども、植物にあたる雨は、それをただ、ずぶ濡れにさせるのではないように見えてきます。
無数の雫がさらさら流れ落ち、雨の粒ををコーティングしているようです。
冷たそうで憐れな感じもしますが、ふるふる揺れて、喜んでいるようにも見えます。
でも、それはただ、外物にあたって鳴る雨の音を聞いただけでは分かりません。
じっと眺めていないと。
杉苔のはってある庭には、泥はねも、どしゃどしゃ雨の音もないのです。
ただ、吸い込まれていくのです。
今月は室生犀星のおはなしをします。
その中から心に響いている雨の詩を紹介します。
雨の詩
室生犀星
雨は愛のやうなものだ
それがひもすがら降り注いでゐた
人はこの雨を悲しさうに
すこしばかりの青もの畑を
次第に濡らしてゆくのを眺めてゐた
雨はいつもありのままの姿と
あれらの寂しいふりやうを
そのまま人の心にうつしてゐた
人人の優秀なたましひ等は
悲しさうに少しつかれて
いつまでも永い間うち沈んでゐた
永い間雨をしみじみと眺めてゐた
「雨は愛のやうなものだ」ですか・・・。
今年は、なかなか可愛い長靴を買いました
お気に入りと一緒に愛の中へお散歩にどんどん出掛けたいと思います