エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

心の内側にあると同時に、関係の中にハッキリあるもの

2014-09-18 11:48:26 | アイデンティティの根源

 

 自己内対話が、何よりも大事ですね。日々の自己内対話。内省。しかし、それは、眼の前の子どもとの関係をイキイキさせるための自己内対話なんですね。この自己内対話にも、子どもとの関係との対話があるんですね。

 P347第2パラグラフ。

 

 

 

 

 

 こういった、あらゆる形で、この言い伝えは、「口伝の伝統の絶対的な性質」だとみなされました。トマスも実際に、グノーシス主義のやり方で、独自の平行記事を残しているのは明らかでしょう。「『神が支配するところ』は、あなたたちの只中にあるもんですし、あなたたちの外にあるもんです。もしもあなたたちが、本当の自分のことが分かれば、あなたたちは、生きておられる天のお父様の息子たちと分かってもらえますし、自分でも分かるようになるでしょう」(トマスによる福音書 第3章)。さらにまた、パリサイ人に「いつになったら、神が支配するところはやってくるんでしょうね?」と問われて(それは、まぎれもなく、罠にかけるものですが)、「神が支配するところは、眼に見える印もなく、やってくる」と答えます(ルカによる福音書 第17章21節)。これは、最初に引用しました言い伝えと矛盾します。そこでは実際、イエスはご自分の癒しの働きに触れます。でもね、ルターは、また、正確に次のように翻訳しています。「眼に見える印もなく、やってくる」と言うところを、「外から見える素振りもなく、やってくる」としました。

 

 

 

 

 原文では、ルカによる福音書第17章20節ですが、その後の聖書研究によって、今は、21節になっているので、そこを変更しています。

 神が支配するところは、≪やり取り≫。それは心と心のキャッチボール。眼に見える決まった形はない。それをここでエリクソンが取り上げてるんですね。と同時に、自己内対話は、具体的な場面で、相手の子どもとの関わりの中で、2人にはハッキリとそれと分かる形をとるんですね。

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