私の好きな聖書の言葉から。
安心して信頼していことに,神様からの力がありますからね。
(イザヤ 30-15)
信仰の恩師の西村秀夫先生が,ガンか何かで入院した時に,この言葉をみんなに知らせていたことを思い出します。
私の好きな聖書の言葉から。
安心して信頼していことに,神様からの力がありますからね。
(イザヤ 30-15)
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エリクソンの叡智: #トラウマになった経験も遊びが癒す発達トラウマ障害(DTD)のご相談は,こちらへ。agape☆gmail.com 但し,全て半角にしてから,☆→1430777@に変換してください。当方,年間......
ヴァン・デ・コーク教授の The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体はその傷を覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』
6章。「身体を失くすと,本当の自分も失くすよ」,p.92,ブランクから。
ラニウス博士は,18人の「普通の」カナダ人グルーブに,何も考えずにいる時の脳画像を撮らせてくれる人を集めました。これは,誰にでもできる容易いことではありません。というのも,私どもは起きている内は,脳が常に激しく動いているからです。しかし,ラニウス博士は,実験協力者の皆さんに「自分の呼吸に注意を向けて,できるだけ何も考えないようにしてください」とお願いしたんです。18人の人に同じ実験を繰り返したんですが,その人たちは,子どもの頃にひどい虐待を常に受けていた人たちでした。
この実験は,マインドフルネスを用いています。子どもの頃にひどい虐待を常に受けていた人でも,マインドフルネスをすると,何も考えない状態になれることを示しているのでしょうか?
実際マインドフルネスをやると,子どもの頃に虐待を受けたり,ホッタラカシにされた子供でも,「無心になれます」などと言って,落ち着く子もいますね。
聖書の言葉: #全てには時がある #うまく出来てる #爽やかな喜びインターメッツォ : 生活が陶冶する 一人ではできない不思議 自分のことはいったん脇に置いとくと、見えてくるもの 他者の「声なき声」に応える......
Toys and Reasons『おもちゃ と 賢慮』 P.94,第2パラグラフから。
日常生活を礼拝にする礼拝の第2の原理は,日常生活を礼拝にする最初の原理とは強調点が違います。第2原理は,正しい選択を歓んで自分で願うという前提を強調するからです。赤ちゃんにお母さんがピッタリと合わせる日常生活の礼拝では,いろんなことを避けることは,両親の責任です。
礼拝というと,「宗教」のことだと勘違いしがち。でも,日常生活を礼拝にする礼拝,リチュアリゼーションとは,相手にピッタリと合わせる,心身の関わりを日々刻々とする,ということです。ですから,特別に宗教とは無関係です。しかし,エリクソンも私も,キリスト教をベースにしています。両方あり,という意味ですね。
日常生活を礼拝にする礼拝の第2原理は,幼い子どもの自由意志に,お母さんがピッタリと合わせる,という点で,第1原理よりもはるかに,お母さんの力が試される,人生最大の最もやりがいのある課題です。
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発達トラウマ障害(DTD)のご相談は,こちらへ。agape☆gmail.com 但し,全て半角にしてから,☆→1430777@に変換してください。当方,年間70~80ケースの発達トラウマ障害(DTD)セラピーをしてきていかなりのケースが善くなっていますよ。あなたも是非位一度連絡してください。料金は,母子家庭などは,割り引きます。
Identity and the life cycle 『神様と一心同体になること と 神様の命が一巡すること』 p.60の,第4パラグラフから。
互いに相手の振る舞い方に自分の振る舞い方をピッタリと合わせて,大切にされ人と絆を感じる体験をすることがないと,赤ちゃんとお母さんの関係の場が,神様の命が一巡するのとは反対の見当違いの向きに,キリストの新しい戒めである互いに大切にすることによってではなく,いろんなやり方で,互いに無理強いすることによって,互いに相手をコントロールしようとすることになります。
子育ては,一歳半までが勝負。
ですから,一歳半までの赤ちゃんには,お母さんが心から歓んで共に居る,ということが最大のプレゼントです。
しかし,忙しさの中で,料理や洗濯もののかたずけをしながら,疲れた意識で気もそぞろで赤ちゃんや幼い子どもの相手をするんでは,互いに大切にする,というよりも,せっせと自分に都合よく子どもをコントロールしよう,ということになります。すると,子どもは子どもで,泣き出したり,わがままを言ったり,無視したりすることによって,母親をコントロールしようとしますでしょ。互いに相手をコントロールしようとすることになりますね。
互いに大切にするのとは,正反対の見当違いの向きに人間関係が回り始めて,止まらなくなります。互いに命をすり減らすことになります。
ニッポンの発達トラウマ障害は,虐待よりも,互いに相手をコントロールしようとして、互いに命をすり減らす,子どもの相手を誠実にすることを軽んじるしホッタラカシ(ネグレクトを「育児放棄」とするのは誤訳,適応範囲が狭すぎる,実際は育児放棄ではないネグレクト,子どもの相手を誠実にしないホッタラカシの方が,圧倒的多数ですから)の結果であることが,圧倒的多数派であることに,注意が必要です!
しかし,今朝も,そもそも,今のニッポンみたいに,そのお母さんが赤ちゃんと共に居ることがほとんどない社会のことを想像してみてくださいね。