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エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

ピスティスと信頼

2016-02-07 09:14:05 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
闇夜に輝く満天の星 改訂版
  何よりも大事なのが、研ぎ澄ました感性、一隻眼。 『The Sense of Wonder 不思議を感じる心』から p67の第3パラグラフ。 ...
 


  ピスティス。ギリシア語では、πιστις、「信頼」と言う意味ですけれども、日本語の聖書では、「信仰」と訳される場合が多いものです。ピスティスを「信仰」と訳すことが間違いだ、と言ったのが、かのカール・グスタフ・ユングです。ユングの全集を、プリンストンの英語版で読み進めていた時に、この件を読んだ時に感じた、驚きと楽しい気分を忘れることが出来ませんね。

 本当の意味で学ぶって、実に愉快で爽やかなものですね。今どきのニッポンの学校で流行りの「正しいこと」の学びとは対極的、真逆です

 それで、ユングは、をfaith 信仰 と訳すのは間違いで、 trust 信頼 のが本当だと書いていたんですね。エリクソンがこのユングの著作を読んでいたかは分かりませんが、少なくとも、エリクソンは、ユングと同様のことに気付いていたと、感じました。

 赤ちゃんの舞台での、発達危機が、この信頼を身に着けることが出来るか?出来ないか? の危機だとすれば、それは、キリスト教徒であるか否かに関わらず、神を信頼するに等しい、と言ったら、牧師さんたちに怒られちゃうかもしれませんが、少なくとも、神様を信頼するのに近い信頼を育む時期ですね。

 この信頼を育むためには、小難しいことは1つも必要ではありません。必要なのは、陽気で楽しいこと、同じことですが、やり取りのあること だけ

 

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触れ合いから命が生まれ、魂を宿す

2016-02-07 07:48:45 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
山本昌さんの思い出 改訂版
  山本昌さん(本名:山本昌広さん)。中日ドラゴンズ一筋、現役最年長の投手です。今シーズン中に50才になると言います。厳しい野球界で現役を長く続けるご苦労は、いか...
 

 

 タッチが、人と人を結びつけるものであるだけではなくて、人を「本当の自分」に結び付けるものだったなんてね。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の始めに戻って、「完成版の前書き」、p.8の4行目途中から。

 

 

 

 

 

私どもが様々な体系を作り出し、素材にいろんな形を与え、の聖なる、力強い、賢明なメッセージを暗示するものに応えるのも、私どもの身体であり、五感です。やり取りの中でこそ、私どもは生き、動き、大地をお互いに分かち合う訳です。触れ合いがなければ、人は成長することもできません。事実、触れ合いがなければ命は生まれる訳がないでしょ。独立と言うのは間違った考えです。

 

 

 

 

 

 独立を重んじた内村鑑三も、エリクソンのこの件を読んだら、賛成してくれるでしょうか? 私は、内村鑑三先生も、異議は唱えないと考えますね。この意味の独立であれば、そうでない存在は存在しない訳ですからね。

 ジョアンの女性らしい視点が生きていますよね。子育ては、女性の資質が役立つものです。実際にジョアンとエリックの子どもたちの子育ても、ジョアンが主たる担当でした。エリックも子育てには協力的でしたが、主たる担当がジョアンであることに変わりはありません。

 命はセックスがなければ生まれないものですね。セックスは、触れ合いそのものでしょうね。しかし、それが単なる身体のふれあいに留まらず、魂の触れ合いであることが、何にもなして大事なのは、そこに新しい命にも、魂を宿すためでしょう。

 

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マッサージが、発達トラウマには、効果的?

2016-02-07 03:32:42 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
初期キリスト教徒たちは、困ったちゃん? 改訂版
  陽気で楽しい気分は、プエブロの人たちの儀式の専売特許じゃぁない。エリクソンのセラピーの基本でもあります。ついでに申し上げると、私のセラピーの基本中の基本です。...
 

 

 今のニッポンには、発達トラウマの治療法が確立されてないのです。それが大問題です。

  ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第14章 Languare : Miracle and Tyranny「言葉 :奇跡も残虐も(、もたらすもの)」p.233、第2パラグラフの7行目途中から。

 

 

 

 

 

救いのセラピーの中でも、マッサージが一番人気があります。イースの調査によれば、一番助けになったセラピーは、トラウマのために生じる身体の重荷から解放することに集中するものだということです。生存者が経験したことと専門家が薦めることが食い違うのは、面白いですね。もちろん、いっそう昔からあるセラピーを結局は選ばなかった生存者がどのくらいいるのかは分かりません。でもね、お話セラピーには興味が全くなかったことから、根源的な問いが生じました。すなわち、「自分のトラウマについて話すことって、良いことなのか?」と言う問いです。

 

 

 

 

 

 私は、発達トラウマを古典的な精神分析で治療したことは一度もありません。ほぼ100%がプレイセラピーです。プレイがコラージュや箱庭に置き換わったことはあります。でも、プレイから外れたことはほとんど一度もありません。つまり、発達トラウマは、なかなか話し言葉にできない、という質のものなんですね。

 

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甘え過ぎは、ない! 甘えさせ過ぎも、ない!

2016-02-07 02:49:41 | アイデンティティの根源

 

 

 
闇夜に輝く満天の星 改訂版
  何よりも大事なのが、研ぎ澄ました感性、一隻眼。 『The Sense of Wonder 不思議を感じる心』から p67の第3パラグラフ。 ...
 


 

 大人と子どもの関係を支配する正義は、大人が身勝手にコントロールできるものではありません。大人も子どもも、等しく従わなくてはならないものです。

 今日は、Young Man Luther 『青年ルター』、第Ⅷ章 終章(エピローグ)のp.255の、第4パラグラフから。

 

 

 

 

 

 マルティンがあの信頼の舞台から、「お母ちゃんのスカートの袂」から、嫉妬深いお父ちゃんによって、早々に追いたてられたという解釈は、当たっています。そのお父ちゃんは、マルティンを女たちから早々に自立させて、実直に、自分の仕事で頼りになるようにしたい、の思ったんでした。お父ちゃんのハンスの目論見はうまくいったけれども、この父ちゃんは、マルティンに、「お父ちゃんのやってることは正しいことだし、真実なことだ」ということに対して、猛烈な不信を植え付けることなしにはすみませんでしたね。それは、マルティンの早すぎる良心と、マルティンの本音の間にある、抜きがたい溝に対する生涯にわたる恥を、マルティンに植えつけずにはすみませんでした。

 

 

 

 

 

 「いつまでも甘えてんじゃぁない」と言う言葉が、親や教員から聴くことがよくありますでしょ。私は日頃から「十分に甘えさせてくださいね。甘えさせ過ぎ、甘え過ぎはないのですから」って、言っています。なぜなら、子どもは十分に甘えると、オートノミー自律の感じを身に着けるので、サッサと親元から心理的に離れていくからですね。親や大人の方がむしろ女々しく、子どもに甘えてもらいたい、と感じる方が普通です。

 エリクソンもその辺の事情をよくよく知っていたはずです。ですから、早々と母親のもとから引き離すことがどんなに残酷で、生涯に渡る傷になる、発達トラウマになるのかを考えずに、ハンス父ちゃんみたいなことをしてはならないのですね。

 

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