大人と子どもの関係を支配する正義は、大人が身勝手にコントロールできるものではありません。大人も子どもも、等しく従わなくてはならないものです。
今日は、Young Man Luther 『青年ルター』、第Ⅷ章 終章(エピローグ)のp.255の、第4パラグラフから。
マルティンがあの信頼の舞台から、「お母ちゃんのスカートの袂」から、嫉妬深いお父ちゃんによって、早々に追いたてられたという解釈は、当たっています。そのお父ちゃんは、マルティンを女たちから早々に自立させて、実直に、自分の仕事で頼りになるようにしたい、の思ったんでした。お父ちゃんのハンスの目論見はうまくいったけれども、この父ちゃんは、マルティンに、「お父ちゃんのやってることは正しいことだし、真実なことだ」ということに対して、猛烈な不信を植え付けることなしにはすみませんでしたね。それは、マルティンの早すぎる良心と、マルティンの本音の間にある、抜きがたい溝に対する生涯にわたる恥を、マルティンに植えつけずにはすみませんでした。
「いつまでも甘えてんじゃぁない」と言う言葉が、親や教員から聴くことがよくありますでしょ。私は日頃から「十分に甘えさせてくださいね。甘えさせ過ぎ、甘え過ぎはないのですから」って、言っています。なぜなら、子どもは十分に甘えると、オートノミー自律の感じを身に着けるので、サッサと親元から心理的に離れていくからですね。親や大人の方がむしろ女々しく、子どもに甘えてもらいたい、と感じる方が普通です。
エリクソンもその辺の事情をよくよく知っていたはずです。ですから、早々と母親のもとから引き離すことがどんなに残酷で、生涯に渡る傷になる、発達トラウマになるのかを考えずに、ハンス父ちゃんみたいなことをしてはならないのですね。
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