初期キリスト教徒たちは、困ったちゃん? 改訂版陽気で楽しい気分は、プエブロの人たちの儀式の専売特許じゃぁない。エリクソンのセラピーの基本でもあります。ついでに申し上げると、私のセラピーの基本中の基本です。...
今のニッポンには、発達トラウマの治療法が確立されてないのです。それが大問題です。
ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第14章 Languare : Miracle and Tyranny「言葉 :奇跡も残虐も(、もたらすもの)」p.233、第2パラグラフの7行目途中から。
救いのセラピーの中でも、マッサージが一番人気があります。イースの調査によれば、一番助けになったセラピーは、トラウマのために生じる身体の重荷から解放することに集中するものだということです。生存者が経験したことと専門家が薦めることが食い違うのは、面白いですね。もちろん、いっそう昔からあるセラピーを結局は選ばなかった生存者がどのくらいいるのかは分かりません。でもね、お話セラピーには興味が全くなかったことから、根源的な問いが生じました。すなわち、「自分のトラウマについて話すことって、良いことなのか?」と言う問いです。
私は、発達トラウマを古典的な精神分析で治療したことは一度もありません。ほぼ100%がプレイセラピーです。プレイがコラージュや箱庭に置き換わったことはあります。でも、プレイから外れたことはほとんど一度もありません。つまり、発達トラウマは、なかなか話し言葉にできない、という質のものなんですね。
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