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エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

アティード:ユダヤの知恵

2014-06-23 10:55:05 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
過去は目の前に置くべきもの: 子どもの頃の課題と正面から向き合うこと
 「遊びの舞台」の章では、激しい怒りも、社会福祉・社会教育の仕事に生かせるケースがあったこと、積み木遊びに現れた子どもの心の時間と空間が、その子の社会の文化における時間と空間をも...
 

 

  アティード。初めて聞いた方も多いと思います。これは、ヘブライ語で「前」を意味する言葉だそうです。

 自分の子ども時代、とくに、3才以前の記憶がある人は少ないですよね。専門では「幼児健忘」と呼ばれるものですが、こういう専門の言葉があるほど、3才以前の記憶がないことが一般的、当たり前なんですね。しかし、それは意識レベルでは記憶していない、ということでして、無意識レベルではヨーク覚えているんです。つまり、「体は覚えている」ということです。それが素敵な体験ならば、まだしも、つらい、悲しい経験だったなら…。

 発達トラウマ障害(DTD)になるような子どもや、そして、大人は、もちろんつらく悲しい体験をたくさんしているんです。しかし、その記憶はない。ただし体は覚えている。それじゃあ、どうなるのか? 意識しないのに、体が反応してしまうんです。「何故かわからないけれども、学校にいけない」、「なぜか分からないけど、大声を出されると、怯えちゃう」、「何故だか知らないけれども、お友達を避けてしまう」…。寂しく悲しい体験の反応・表現型はさまざまです。共通しているのは、「なぜそうなっちゃうのかは、分からない」ということだけ。

 母親が、1日のうち何回、赤ちゃんにおっぱいをあげたり、オシメを取り換えたり、声掛けしたり、顔を眺めたりするでしようか? 1日10回あると仮定すると、嬉しい体験だったら、10回、つらく悲しい体験でも10回、毎日体験することになりますね。1年で3650回、小学校に入る頃には、3650×6≒20,000回の、同様な体験をしていることになります。1回だったら、悲しい、つらい、残念、不満な体験であっても、それが20,000回にでもなれば、それは、「激しい怒り」、「殺したいくらいの憎しみ」になってしまっても、その方が自然ですよね。

 発達トラウマ障害(DTD)の子どもも、大人も、例外なく、この「激しい怒り」、「憎しみ」のレベルまで、ネガティヴが深まってしまっている人たちなのです。単純に言っても、同じ20,000回以上の肯定的な、満足できる体験がなくては、回復しそうにないですね。でもそんなことをしていたら、学校で教科書を教えている暇は1秒もなくなっちゃう!

 子どもが眼の前でやっていることは、幼い時の悲しい体験に、「激しい怒り」等の強い情動がべったりとくっついたものが、知らず知らずに引き出されてしまっているものなのです。

 ですから、過去は背後にあるものではなくて、眼の前にあるものなのです。ヘブライ語で「前」を意味するアティードは、同時に「過去」を意味するのは、ユダヤ人が、この心のからくりをヨーク知っていたからだと考えて間違いないですね。

 

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最深欲求に応えるもの

2014-06-23 10:49:21 | エーリッヒ・フロムの真まこと(の行い)

 

 今の日本は、母親が赤ちゃんと「共に居る」ことを許さない社会ですから、これだけ、発達トラウマ障害(DTD)=愛着障害の子どもが爆発的に増えちゃってるんですね。2012年に文科省が調べて、普通学級に6.5%の「発達障害を疑われる」子どもがいる、と言っているほとんどが、私に言わせれば、愛着障害の子どもたちの、ほんの一部でしょう。実際は「もっと、ずっと多い」のですね。

 今日はp38最終パラグラフ。

 

 

 

 

 

 

 お母さんからお父さんへと関係性の重心が移動するのを理解するためには、お母さんが≪真の関係≫の中で子どもを大事にするのと、お父さんが≪真の関係≫の中で子どもを大事にするのとでは、質的な違いが本質的にあることを理解しなくちゃなりません。お母さんが≪真の関係≫の中で子どもを大事にするのは、根っこに捨て身の覚悟があるんですね。お母さんが≪真の関係≫の中で生まれたばかりの我が子を大事にするのは、わが子だからこそです。その子が何がしかのものであったり、何がしかの期待に応えているからではないんです(もちろん、私が、お母さんが≪真の関係≫の中で子どもを大事にすることやら、お父さんが≪真の関係≫の中で子どもを大事にすることやらを申し上げる時には、私はその「理想の形」について述べているんです。この「理想の形[理念型]は、マックス・ウェーバーが言う意味のものですし、あるいは、ユングが言う元型の意味ですから、すべてのお母さん、すべてのお父さんがこうだと申し上げているんじゃありません。女性原理と男性原理について触れる時、お母さんのような人、お父さんのような人を象徴しています)。損も承知で≪真の関係≫の中で子どもを大事にするのは、最深欲求の一つに応えるものです。この最深欲求は、その子の最深欲求ではなくて、あらゆる人が抱いている最深欲求です。

 

 

 

 

 

途中ですが、ここまで。損も承知の捨て身で≪真の関係≫の中で子どもを大事にするのは、最深欲求に応えることでもあるんですね。エリクソンと言っていることと重なりますね。やっぱり、フロムとエリクソンは親戚でしたね。

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高橋源一郎さんから教わったこと

2014-06-23 05:11:55 | エリクソンの発達臨床心理

 

 先月末の高橋源一郎さんがしたためた「論壇時評」、溜飲が下がる思いで繰り返し読みました。私事にわたって恐縮ですが、じつは、先月下旬、自宅を開ける事情があり、その間の新聞が、新聞受けに埋もれていて、5月の論壇時評を読むのがつい先日になってしまった、という事情がありました。

 少数者が「ありがとう」と言えるシステム(「少数意見の尊重」という原理)が、民主主義に必須であるとすれば、「私たちの国には、まだ民主主義は存在しない」ということです。異論のある方があることを百も承知で申し上げるのですが、少数意見を圧殺する点で、日本は、北欧やオランダのように民主主義が徹底している国よりも、はるかに北朝鮮の親戚です。日本は少数者を強制収容所で殺す、まではしないけれども、少数者の意見を圧殺、排除するだけではなく、少数者そのものを存在しないかのように振る舞っているからです。無実の人(と思われる)袴田事件の被告人を半世紀近くも監獄に入れておいて、平気な国、福島とその近隣の人々が日々放射能被曝を今日もしているというのに、その人びとの健康調査とそれに基づく医療保障もしていない国、毎日1,000人の人が自殺している国、毎日10万人以上の子どもが、学校には行けない事情を抱える国、6人に1人の子どもが、物理的に飢えいる国、愛情に飢えている子どもは、6人に1人どころじゃない、半分くらいはきっと、愛情に飢えている国、乳呑児を抱えた母親でも、8時間どころか、12時間以上は働き(通勤を含む)、サービス残業と言う強制労働を強いられた挙句、「早く帰る」などと皮肉や嫌がらせまでも受け、わが子と「共に居る」ことができない国…。

 日本に愛着障害の子どもがこれほどあふれかえっているのは、日本が北朝鮮に似た、非民主主義の「独裁国家」だからです。そのことをこの際、はっきり申し上げておこうと思います。

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