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エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

血のつながりを知らない 母と子

2014-01-27 11:11:04 | フーコーのパレーシア

 

 クレウサとクスートゥスは、デルフォイ神殿に行ったものの、クレウサに秘密があるために、同じ願掛けができません。

 

 

 

 

 アポロ神殿は、デルフォイの至聖所ですが、願掛けに来た人なら誰にでも、神々が真実を語る場です。クスートゥスとクレウサは二人とも、神殿の門前までやって来ます。もちろん、二人がイオンに、アポロ神殿に仕えるもので、クレウサにとっては子であるのですが、イオンに会うのは初めてです。しかし、クレウサは自分の息子とは気づかないのも当然ですし、イオンにしても、自分の母親とは気づかないのも仕方ありません。母も子もお互いに見知らぬ人です。それはちょうど、オイディプスとイオカステーが、ソフォクレスの『エディプス王』の中でと同じです。

 オイディプスが、母親の意思とは異なり、死から救われたことを思い出してください。そして、オイディプスも、実の父と母に気づくことができないことも思い出してください。イオンの筋立ては、どことなく、オイディプスの物語に似ています。しかしながら、真実のダイナミックスは、真逆です。

 

 

 

 

 

 イオンの話は、オイディプス=エディプスの話と似ています。イオンもオイディプスも、実の両親を知りません。真実が語られるのか、語られないのか、に二つの物語の違いがあるようですね。 

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厳しさの三乗≒絶望

2014-01-27 06:58:03 | エリクソンの発達臨床心理

 

 ルターが神学にした葛藤と、フロイトが精神分析を作り出した葛藤は、同じものだった、というのには驚きです。

 

 

 

 

 

 しかし、いまや事実のための時です。ルターの子どものころのことは、少しわかるだけです。ルターの父親は、農場を止めて鉱山主をしていたこと、ルターの両親は頑固で、ケチで、迷信を信じて息子たちを打ったこと、学校は単調で残酷だったこと。マルティンは、家も厳しいし、学校も厳しいし、そのうえ、教会が最後の審判を排他的に独り占めにしているとルターが見なしていたことも厳しいことから、彼が修道士になるように駆り立てられた、世間の罪責感と悲しさに満ちた気分が募ったのでした。

 

 

 

 

 

 ルターの幼少時は非常に「不幸」ですね。家も学校も教会でさえ、厳しさで貫かれていて、一片のぬくもりも感じられないからです。その絶望はどれだけ深かったかを思わずにいられませんね。

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