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忙中閑話

四季の移ろい、花鳥風月を楽しみつつ
趣味はミニチュア木工、電子工作、旅行など

猫(野良)の超能力に脱帽

2013-02-23 | 随想
しばしば野良猫が我が家の庭を横切っていく。どうやら彼らには広い縄張りがあってパトロールしているようだ。

隣の家が一部家庭菜園にしている裏庭をそのまま抜ければ難なく抜けられるのにわざわざブロック塀を乗り越え庭を通って玄関先に抜けていく。逆のコースもある。

野草好きな義母が庭の半分を手入れもせずジャングル状態にしているので身を隠しやすいと見ているのか、あるいはそのジャングルもテリトリーの一部にしているのか、ともかく小ばかにしたように庭を抜けていく。

ただ抜けていくだけなら実害はないのだが、家人によると二階のベランダに干していた布団の上で日向ぼっこをしていたり、ベランダのサンダルの上など方々に小水をかけるなどの悪戯をするという。

何よりも20数年前のこと、ダイニングキッチンの天井で子猫の鳴き声が聞こえるので電気屋を呼んでシーリングライトを外して貰ったら、なんと天井の僅かな隙間に野良猫の巣があり子猫が数匹いたことがある。また数年前は庭の剪定に入った庭師が義母の作ったジャングルの中で猫の死骸を見つけたこともある。

近所に猫に餌を与える人がいるらしいが、近辺住民がこのような迷惑を受けていることは全く意に介さない困った人たちである。注意しても止めないそうだ。

兎も角、庭に巣でも作られたら困る。最初は見つけると追い払っていたが敵も去るもの、一旦は逃げるものの間合いを置いて立ち止まってからこちらの出方を窺っている。さらに追いかけると逃げはするが懲りずにまたやってくる。一度、車庫に逃げ込んだのでこれ幸いと閉じ込めて散々脅かしてやったのだがこれも効果がなかった。

そこで野良猫の通り抜け阻止に躍起になっている。

まず玄関の門扉の下にあった5cm余りの隙間は金網で潰した。猫は頭さえ入れば体がすり抜けられると言われ、実際に猫を追いかけたらするりとくぐり抜けたことがある。しかしこの金網はさすがに通り抜けられないようだ。

そして次はブロック塀。長さが30m以上あるので対策は難しい。少しずつ効果を見ながら猫対策を練っていくことにする。

最初は去年の秋、取って来た山栗の実を取り出した後、外側のイガを見て猫対策に利用しようと思いついた。ブロック塀の手前にちょっとした段差があるのでそこにこのイガを敷き詰めた。しかし僅かな余地を見つけてそこに脚を掛け乗り越えていく。これはあっさり失敗。
猫はお腹の皮膚が弱いのでトゲのあるものが嫌いだといい、バラを庭に植えだけで寄ってこなくなるということを聞いたが全く根拠がないようだ。家の庭にはバラが二本もある。


次は金網の自家製のトゲ。5mm穴の金網のところどころを適当に切断しワイヤを折り曲げるようにして5mmほどのトゲを一面につけた。指先で触ってみると痛い。猫も踏めばいたいはずだ。これなら効果があるだろうと踏んでいたがこれも敢え無く失敗。家人に言わせると平気でトゲの上を歩いているし、なんと毛づくろいまでしていたという。トゲを立てるのには相当時間がかかっている。ますます怒りが増してきた。


次に100¥ショップの猫対策グッズ。家人がたまたま見つけた。プラスチックのグレーチングに20mmほどのピンが立ててある。長さ50cmのものが2枚セットで100¥。ブロックの上は比較的狭いので縦に半分に切っても収まる。切ったものを一列に繋ぐと2mにもなる。まず玄関先の通り道になる塀の上に乗せてみた。これは効果があって、一度玄関先まで猫を追いたてたところ超えられないと見て慌ててひき返しそれこそ必死の形相で体の脇をすり抜けていった。通路のそばに並べている植木鉢をなぎ倒してしまった。
そこでこれをブロック塀の上にも並べてみた。まだここを超えたところを見たことがない。


ただこれはピンが目立ち見栄えはあまり良くない。それと風穴がついていないブロックは固定することが難しい。

トゲが長いと効果がありそうだと判った。そこで先の金網のトゲをさらに伸ばしてみることにした。とげの長さは10mmほどと最初より長くなった。

しかしこれは先日乗り越えて行くのを見た。

猫の手足の肉球は硬くても、指の間は柔らかでのだろうとは思うのだが意外としぶとい。多分体重も各脚均等に掛けているのだろう。あるいは我々が靴を履いているのと同じなのかもしれない。

先日、庭を玄関先の方向に平然と歩いていたので追っていくと1mほどの高さの門柱にいとも簡単に跳び上がり平然と逃げていった。

トゲの上でも平気で歩くし1m程度であれば軽くジャンプする。まるで忍者のようだ。


次は猫トラップか飛び道具による脅しかなさそう。まだまだ当分猫とのバトルは続きそう。イタチゴッコならぬネコゴッコになっている。

何よりの一番の対策は猫に餌を与えないことなのだが、猫が懐くのをいいことに近隣の迷惑が判らない手前勝手な人達である。

国宝級の結婚???   歌舞伎役者の人間国宝に疑問

2013-02-16 | 随想
 先日TVでニュースを見ていたら”国宝級の結婚”と銘うって歌舞伎役者・尾上菊之助の婚約会見の中継があった。

相手は同じく歌舞伎役者・中村吉衛門の四女とのことで、普通芸能ニュースは見ないですぐチャンネルを変えるのだが”国宝級の結婚”とは何だろうとしばらく見ていたら菊之助の父親である尾上菊五郎と新婦の父親である中村吉衛門が共にいわゆる人間国宝なのだそうである。

菊之助という役者は、以前姉の寺島しのぶと共演した対談風のCMを見たことがあるが、どこか眠そうな目をしているのに、それでいて整形した二重瞼のようなパッチリした輪郭の目がなにやらアンバランスで、今ふうにいえば少々「キモイ」感がしてチャンネルをすぐ切り替えた記憶がある。ほどなくしてそのCMは放映されなくなったところをみるとやはり評判があまりよくなかったのだろう。

美男、美女である菊五郎と藤司純子を両親に持つのでパーツはいいのだろうがバランスが悪いと全体がおかしくなる典型といえば言い過ぎだろうか。

婚約会見や菊之助のことはバラエティーと思って見なければそれで済む。しかし以前から少々違和感を感じていたのが歌舞伎役者の人間国宝。正式には「重要無形文化財の所有者、継承者」というそうで、歌舞伎が国の伝統芸能の一つでその継承者だという理由からだろう。彼らにとっては多分端金だろうが年間200万円の奨励金も付与されるらしい。

3歳頃から厳しい稽古を積んできたというが、それならフィギュアの浅田真央、卓球の福原愛も負けてはいまい。一流のアスリートなら厳しい節制をし激しい練習にも耐えている。ならば歌舞伎役者が人格者かと言えば、婚約会見での両方の父親のインタビューを聞いてもただの芸能人。暴力沙汰で問題を起した市川海老蔵は「自分は将来は人間国宝」だといって相手に酒を強要したと聞く。酒を飲んでいたとはいえこれが多くの歌舞伎役者の本音であろう。そして若気の至りというか「隠し子」を持つ者も何人かいる。

そもそも歌舞伎が伝統芸能だというが果たしてそうだろうか。そもそもは戦国時代の「出雲の阿国(おくに)」が発祥で「」と蔑まれ、時にはいかがわしい商売もしたのではないだろうか。それが他に娯楽の少ない江戸時代に大衆芸能として受け継がれ現代に至っている。はでなクマドリの化粧、あでやかな衣装に大掛かりな舞台装置、囃子に謡曲、これらがミックスし日本特有のものとして一部の外人に受けているだけのようにしか思えない。

それに比べて仏像や建築物などの国宝などは理解できる。なんと言っても歴史あるモノには時間という広がりがあり、先人達の影が感じ取られるからだろう。

笹子トンネル事故

2012-12-03 | 随想
 昨日の笹子トンネル天井板転落事故は本当に驚いた。
こんなことが日本で起こるのだろうかと当初信じられなかった。
数年前お隣韓国で漢河にかかる橋の中央部分が脱落して大勢の犠牲者が出た
時そのお粗末さにあきれたが、日本も韓国に劣らず相当しょぼくなっているな
と感じる。

 たまたま通り合わせて事故に巻き込まれた人たちは本当に気の毒でならな
い。

 事故の報道で類似の工法のトンネルとして最初に挙げられたトンネルが
恵那山トンネル。ここ10年、毎年GWに信州に行っておりこのトンネルを
通っている。トンネルの名古屋側口近くに神坂PAがあり、馬籠宿まで1km
ほどなので途中休憩の意味も込めてPAに車を置いたまま徒歩で馬籠に行く
ことにしている。

 恵那山トンネルは長さが8.2kmもある長いトンネルで、車でも抜ける
のに相当時間がかかるし他のトンネルより天井が低いので圧迫された感覚
があって通過するときは緊張する。
ある年通過時間を計ってみようとデジカメで撮ってみた。

 入口付近 (撮影時間 @15:24:06)
    

 出口付近 (撮影時間 @15:29:32)
 

 入り出でその差およそ5分30秒余り。時速はおよそ90km。
GW期間中であったが写真で見るとおり並行車両はあまりなく混んではいな
かった。

それにしても車で通る分にはトンネルの構造や経年の程度はわからない。
通過時に平らな天井には気付くが、化粧用の軽量パネルだろうと考えて
いた。まさか1枚1.2トンもあるコンクリートパネルが天井に吊られて
いたとは・・・。知らぬが仏。背筋が寒くなる。
橋や高架は大丈夫なのだろうか。

万里の長城  日本人旅行者の遭難に託けて

2012-11-07 | 随想
約20年ほど前会社の出張で北京に行ったおり、同行した商社の人が紫禁城
と万里の長城を案内してくれたことがあった。

尖閣問題で日中関係が悪化している昨今、この出張時の思い出を足がかりに
中国について少し書きたいと思いつつ考えあぐねていた矢先に今回の事故の
ニュースが流れたので少々驚いている。


紫禁城は市内にあるのでこれは兎も角、万里の長城の方は北の夷敵の侵入
を防止するために建設されたということから北京の遥か北方にあるという
イメージでちょっと足を伸ばして行けるような距離にあるとは予想も
していなかった。

地図を見ると確かに近い。北京から北西に6,70kmのところ、信号が殆ど
なかったはずだから車で約1時間強で八達嶺という城門に着く。
(この名前は今回のニュースで初めて知った)


 搭乗したJALで貰った北京、西安の観光案内パンフ(部分)
 表紙          北京周辺地図
      


 八達嶺(長城入り口)
 銘板の部分を拡大すると「万里長城 八達嶺」の字が見える。
  (長、達、嶺が略字)
 すぐそばに入場口があり、入場券を買って入ると城壁上部の
 回廊に出る。

 


 長城の回廊
 上方に見える城郭まで登る
 


 城郭から入場口方向 
  遥か下方に入場口のある八達嶺付近がみえる。標高差100m程だろうか。相当登  っている。
 

 かなり傾斜がきつい
 

 城壁が遥か遠くまで延々と続く
 



遭難のニュースを聞いた時まず最初に思ったのは、多くのコメンテーター
が言っているように「万里の長城で遭難?」「吹雪で?」というものだった。

回廊の両サイドには、背丈はそれほど高くないが壁が設けられていて一本道。
迷うことはまずない。そしてもともと沙漠に近いので降雨量が少ないはず。
写真を見ても回辺に大木が見られない。

写真の日付を見ると奇しくも行ったのは11/18。コートは着ていったが
それほど寒くはなかった。


今回の遭難の原因は60年振りの大雪と年配者にとってはかなりハードな旅程
だとか。誠に気の毒としか言いようがないが、めったに観光客が行かない珍し
い場所でもあって道も余り整備されていない所のようだ。行き尽くして最後に
残った秘境といったところだろうか。


 紫禁城、天安門
 


 その他故宮博物館も案内して貰ったが、主だったものは国民党が敗走した
ときに運び出して今は台湾にあるとのことで、台湾の故宮博物館にも行った
ことがあるがこちらの展示物は確かにすばらしかった。



次に当時の中国の話だが、当時中国はまだ相当に貧しく、比較的恵まれた地位に
あるはずの政府の役人です月給が7,8千円という状態だった。
ホテル1泊分で軽く吹っ飛んでしまう。
従って時折工場に技術研修でやってくる中国の技術者は外で食事ができずに殆ど
毎日ホテルでカップラーメンばかりを啜っているという話であった。

また技術的にも相当遅れており、日本の技術取得に熱心な余り立ち入り禁止の
場所にも無断で立ち入ったり、「企業秘密」の部分を「友好的でない」と非難
して無理に聞き出そうとしたりするなどかなり強引な面もあった様だ。

それが今や有人の宇宙飛行船を飛ばす。中古で時代遅れの型式ではあるが航空
母艦までも持つまでになった。米国まで狙える大型のミサイルも開発済みだとか。
自信過剰になるのも当然だろう。

この中国に日本企業は先を争うように、膨大な市場や安価な労働力を求めて進出
している。

清朝末期の頃の揚子江沿岸地方では、欧米の企業、民間人が進出して行って開発が
ピークに達した頃から程よく中国人が次々と戻って来はじめ、次第に欧米人が居
づらくなって最後には全て中国人の手の物になってしまったという経緯がある。

今回の日本をターゲットにした暴動はこれに似ている。軌道に乗るまでは虎視眈々
と傍観する。そうして成功すればいろいろな手段でもって掠め取る。これは中国人
の常套手段なのだろう。

真偽の程は判らないが、中国のことわざに「木の上に逃げた獲物を追い立てる犬は
隣の別の木を吠え立てる」というのがあるそうだ。中国が難癖をつける時その狙う
先は別にあるようだ。「靖国」「歴史認識」はこれに当たる。

アフリカあたりでは、資源開発に投資はするが現地で中国人の労働者を使い、投資
した金は中国製品を売りつけて回収するので、現地は資源は取られて残るは中国製品
のゴミばかりという有様ですでに中国離れが始まっている。尖閣、南沙諸島のような
やりかたをすれば早晩世界の嫌われ者になるだろう。

日本もこんな国に進出するしか生き残る方法がないようでは哀しい。





韓国に思う その2

2012-10-11 | 随想
 先に南北朝鮮が世界で唯一の分断国家と書いたがもう一つ中国・台湾があった。
唯一のというのは勘違いであった。しかし台湾は大陸で共産党との争いに敗れた
国民党勢力が台湾に逃げ込んで建った国であり、沖縄に琉球王国があったように
もともとは中国ではなかったので中国・台湾がいわゆる冷戦下の分断国家かという
とやや趣きが違う。

 言いたかったのは、朝鮮がいまだに分断国家であり続ける原因が、有史以来長く
中国の影響力の下にあり時に内紛で外国軍隊を招き入れたことにあるということで
あって、そういった他力本願的な体質が有史以来の成り立ちから長く体に滲みつい
ているということである。

 中国から導入した律令体制が、日本では800年以上も前に破綻したのに対し
朝鮮では李朝が滅ぶ近年まで続いていたというから驚く。それに加えて最悪なのは
中国式の科挙制度。これも近年まで続いた。優秀な人材の登用といえば聞こえが
いいが、極端に詩歌、文章作成の能力査定に偏重し、しかもこれらに関する過去の
膨大な文献の知識を問うものであったため記憶力が勝負となる。これでは確かに
頭は良いかも知れないが思考力や判断力、独創性のある人材は育たない。また科学
技術や工芸は蔑ろにされた、というよりむしろ卑しいものとして卑下され続けた。
日本と同じように太平の世が長く続いたはずなのに日本の上方文化、江戸文化の
ような爛熟した文化・芸術が生まれなかった所以である。

 これは単に科挙制度が悪かったというのではなく、この弊害多い科挙制度を何ら
疑いもなく永々と500年もの間続けてきた民族性に問題があるということに早々に
気づくべきだ。
山中教授がノーベル賞を受賞し日本人の受賞者が19人となったのは探究心を育んで
きた先人たちの絶え間ない努力にある。

 朝鮮は儒教の国、礼節を重んじる民族だというが、日本大使館前の少女の像は
民族の品格そのものを疑う。長幼の序を尊重するといったことが、例えば年長者の
前では煙草を吸わないとか、酌を受ける時は酌を持つ手の袖口に反対側の手を添えて
両手で受けるといった行儀作法だけが先行し心が伴っていないのではないか。
そうでなければあのような下品極まりない行動は全く理解できない。

 自らの歴史を学び、それに立脚する民族性に気づくこと、そうしないと永遠に
一流国にはなれないだろう。

韓国について思うこと

2012-09-21 | 随想
 20年ほど前の話だが、隣国の韓国に幾度となく出張した。出張先は主に釜山や蔚山などの工業地帯だったがソウルにも本社訪問で二度ほど行った。また逆に韓国の会社からも何度か訪問がありその度に会食し友好を深めたつもりである。韓国には火山や温泉がないということで一度別府温泉に泊りがけで招待し"地獄巡り"に案内したこともある。

 当時は韓国国内での日本語の放送が禁止されているなど日韓間に多少のわだかまりが残ってはいたが、慰安婦問題は勿論、竹島問題も大きな問題ではなかった。竹島の占領が始まったのは終戦直後のことで、従って勿論当時も竹島は韓国によって不法占拠はされていたが今ほど大きく取り上げられることはなかった。慰安婦問題はここ10年ほど前からなぜか急にクローズアップされてきた問題であり、当時は一部の人に限られていたようで問題にすらなっていなかったように思う。

 付き合った韓国側の人たちは殆どがエンジニアで知識人だったこともあるが押しなべて友好的であり日本語を学んでいる人も多数いた。

福岡から釜山までは距離にして200kmほど。これは広島までとほぼ同じ距離である。あまりに近いので福岡空港(板付)からジェット機で飛ぶと上昇したと思ったらすぐ下降を始める。まるで弾道のようで水平飛行が殆どない。それほど近い。
山なみは九州のそれとどことなく似ている。太古の昔、陸続きだったことを思わせる。ただし樹木が日本ほど多くなく禿山が目立つ。オンドル(朝鮮式床暖房)の燃料か、古くはタタラ製鉄の燃料にするため大量に伐採されて以来回復しないらしい。


釜山から蔚山に抜ける途中だと思うが村落を通ると、そこはおよそ30年ほど昔の日本の田舎の生活を思わせた。土壁に囲まれた古い家屋、未舗装の道路に放し飼いの鶏などなど。


韓国人はいわゆる朝鮮人ぽい顔立ち(面長で顎が張り、目尻が少し上がった細眼)をした人に時々眼を見張るような美形の人が混ざる。ソウルの方で多く見かけた。北に行くほど北方のツングース系の血が混ざっているのではないだろうかと思ってしまう。ただ大統領までもが整形する国柄なので最近の美人は整形が多いとも聞く。

韓国で定番の焼肉、蔘鷄湯(サムゲタン)について。
焼肉は韓国ではロール状に巻いた肉をグリルの上に載せそれを広げながら適当な大きさに鋏で切って焼く。肉を予め適当な大きさに切って出す日本とはかなり違う。また食べる時に使う箸はステンレスのような金属製。そしてご飯茶碗も金属製。日本では葬儀の時しか金属製の箸を使わないのでこれには相当違和感がある。金属製のご飯茶碗も仏前の供えるものと同じでなんだかしっくりこない。金属だと汚れが落ちやすい、壊れないと合理的と言えば合理的だが…。

韓国で会食した時、焼肉を自分の箸で当方の食器に取ってくれたことがある。さすが儒教の国。ゲストへのもてなしの心…。しかし、よく見ると箸にはご飯粒やご飯糟がいっぱい………。食べないわけには行かないので眼を瞑って口に運んだ。

蔘鷄湯も韓国を代表する料理の一つ。鶏の腹を開いてもち米や朝鮮人参などを詰め、肉が溶けるほどに煮込んだ粥状の料理で、栄養価が高く、昔は病気快癒時の食べ物だったとのことらしい。鶏をまるまる一羽使うので値段も張る。これも現地で食したことがあるが、量が多いため最後の方は冷めてどろどろの状態となり腐肉のようであまり気持ちのいいものではなかった。

そういえばビビンバも、ご飯の上に肉、野菜などの具材を載せて焼き、食べる時にグシャグシャにかき混ぜてから食べる。日本でも炊き込みご飯のようなものはあるが、具材は少なくしかもせいぜい1,2種類の混ぜ込みである。どうも日本のようにご飯と惣菜を交互に口に入れ、いろいろな味の組み合わせを楽しむと言った繊細な感覚がないのではないかと思う。

原色に近いチマチョゴリ、それに対して微妙な色合いの日本の和服。これも繊細な感覚の違い。

ソウルオリンピックの時に多分ボクシングだったと思うが、判定が気に入らないといって会場の照明電源を落として真っ暗にしてしまったことがある。今回のロンドンオリンピックでも柔道会場だったか1時間もの間座り続けて抗議した選手がいる。何人か集まると輪になって踊る。悲しいことがあると失神するのではないかいうほど気が違ったかのように号泣する。
釜山でのそれに似た出来事を経験したことがある。乗ったハイヤーが突然窓を開けて交通整理員か警察官と怒鳴り合い始めた。あとで聞くと交通渋滞緩和のためナンバープレートの番号の偶数、奇数で乗り入れ制限があったが、自分は許可証を持っているので提示しているのに止められたと怒っていたらしい。とかく感情の起伏が激しく表現がストレートなようだ。


ソウルの地下道をぶらついていたら韓国語で道を聞かれたことがある。自分では典型的な日本人の顔をしていると思うがどうも韓国人と見間違えられたようだ。逆に多くの在日の人が芸能界、そして一部政界にも進出しているが、本名を名乗らない限り外見だけでは全くそれとは判からない。しかし、顔は同じようでも感性、気質は相当違うようだ。


韓国は造船、鉄鋼から始まり自動車、電子産業で日本に追いつけ追い越せで進んできた。日本も、明治以来欧米に追いつけ追い越せでやってきたが、ただ単に真似るだけでなく高張力鋼をはじめとする材料開発、液晶TVの商品化など長くて地道な開発で発展し続けてきた。スマートフォンの指で画面を繰る操作もSONYが開発した技術とのこと。
韓国の経済発展は確かに著しいものがあるが、一方では労使の利益配分、格差拡大、雇用悪化のような負の側面は日本以上に進展が早い。安売りで世界市場を席巻しても市場荒らしに過ぎず結局自分で自分の首を締めているようなもので結局は自らを苦しめる結果となる。韓国の経済成長は眼を見張るものがあるが、日本に追いついたあと果たして今の手法のままで目標を新たに設けられるのだろうか、はなはだ疑問である。


最後にまた慰安婦問題に戻る。
およそ20年前、当時の河野洋平官房長官が執拗な抗議に対して短慮的に行った「調査の結果、国が関わる組織的な強制連行といったものはなかった。しかし、民間レベルではあったかもしれないのでとりあえず謝る」といった内容の談話―いわゆる河野談話―が事実として認めたと取られ、ならば補償しろということになり、最後は被害者20万人との主張になったということらしい。

戦時中、武器・兵員はおろか食料の補給もままらず餓死戦死者が多数出たほどだから、まともに考えればこれほど多数の慰安婦達を輸送する余裕はなかったはずだし足手まといになる慰安宿をつれて転戦するすること自体不可能なことくらいはすぐに判りそうなものだが、なぜか日本人なのに女性の人権の話になると激高する女性の大学教授や国会議員までもが同調する。まさに売国行為なのだが判っていない。

仏教を始め主だった文化は古代、半島経由で日本に渡った、自分たちが教えた、自分達は兄貴分、姉貴分なのだということらしい。シルクロードの道すがらに過ぎないのだが、だから秀吉の朝鮮出兵、日韓併合がけしからんとなる。例えが悪いが、自分は気高いお姫様で、家臣である日本に手篭めにされたといったような感情らしい。元寇の時、元に脅されて先鋒隊として手先となって攻め込んできたのは自分たち半島人だったということは全く眼中にない。

日韓併合にしても、当時ロシアが南下政策で北方から急激に勢力を拡大しつつあり、もし日露戦争で日本がバルチック艦隊を撃破して勝利していなければ韓国はおろか日本までもがロシアの植民地か最悪バルト三国のようにロシアの領地に組み込まれていたに違いない。いわば日本の防衛上当然の施策でもあった。

これは欧米の植民地が資源や労働力の搾取かあるいは産業革命で生産過剰となった製品の市場確保が目的だったのに対し、鉄道の敷設、電源開発などのインフラへの社会資本の投入を行い積極的に同化政策をとったことでも判る。朝鮮には搾取するような資源はなく、また日本自体も他国に製品を売りつけるほどの工業生産力をまだ持っておらず市場を拡大する必要はなかった。この朝鮮へのインフラ整備のための膨大な投資のため大幅な出超となり当時の国家財政を相当圧迫したようだ。そしてこれら日本が整備した鉄道や水力発電所が戦後の朝鮮の発展に大きく貢献していることも全く彼らの眼中にない。ただただ被害者意識だけが強い。


一方、当時の李氏朝鮮の朝廷がどうしていたかといえば、日本でいう摂関家が何代にも亙ってシノギを削りあって権謀策術、権力闘争に明け暮れていた。一方が勝てば負けた方は子、孫、曾孫と長年一発逆転のチャンスを窺う。そんな調子だから江戸文化、上方文化のような爛熟した文化は生まれない。驚くことに王ですら文盲の人がいたという。韓国の歴史をちょっとでもかじれば現在流行している韓流の宮廷ドラマが完全なフィクションであることが判る。衣服にしても実際はあれほど雅かではなかったはずである。

また李氏朝鮮、その前の高麗にしても中国から冊封(さくほう)を受ける冊封体制を強いられた。いうなら幕藩体制の藩のようなもので自治権はあるものの有史以来長らく中国の支配を受け続けてきた。冊封体制が解かれて中国から独立したのは日本が日清戦争で清を破ったことによる。
中国の支配は朝鮮の氏名制度を見れば良く判る。韓国の姓は今は中国と同じく朴、金などの一文字だがもともとは日本のように二文字だったとのこと。そして正式に結婚しても夫婦別姓なのも中国と同じ。夫婦別姓は世界を見渡しても中国、朝鮮だけではないだろうか。長く冊封体制を強いられるなかで変えざるをえなかったのであろう。歴史認識欠如といって日本を糾弾するが、自身は自身のこんなことさえ正しく認識していないようだ。


だらだらと冗長になってしまった。そして書き続けるにつれて次第に内容が過激になってきた。
長く鎖国を続けた日韓両国だが、早くから列強の脅威に備えて富国強兵に努め、かつ維新のような時でも外国の軍隊を入れて相戦うようなことをせずに自立を守った日本に対し、清やロシアの力を頼るだけで努力を怠った韓国朝鮮。いま世界で唯一の分断国家となっているのはまさにここに原因がある。ここでいいたかったのは自国の歴史なり民族性をきちんと認識して次の発展に繋げて欲しいということである。