お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

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中市場町の山車「石橋車」 今はなき戦前の名車

2006年02月25日 10時58分44秒 | 歴史探索

 金刀比羅神社の氏子であろう、泉1丁目付近にあった「旧称 中市場町」ここには以前、名古屋を代表する山車があった。「石橋車」旧名古屋祭 東照宮祭に出た
名車。カラクリは、獅子の人形が牡丹の花と唐子と戯れるものだが、石橋獅子は外にもある。現存するものでは、出来町中ノ切「河水車」こちらは、獅子の髪を付けた唐子が、能や歌舞伎の獅子よろしく、髪を激しく振りまくる。
 河水車の石橋獅子と中市場の石橋獅子は、題材は同じでも、カラクリは違った。
中市場町の「石橋車」は戦災で消失したが、伊勢門水 「名古屋祭」に気になる記述がある。


「文化八年に車體一式を改造して其古車は愛知郡の某村へ売却し、」

文化8年(1811)に車体を造り替えて、愛知郡の何処かへ売ったらしい。(ちなみに文化年間、西暦1810年代はナポレオンがいた頃。
文化年間の引用元 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

伊勢門水がいたのは明治期、この愛知郡という記述がクセモノで、江戸時代、明治期、戦前、戦後で「愛知郡」の範囲が違ってくる。
「愛知郡」という記述を現代そのまま当てはめてみると、愛知郡長久手にある「前熊の山車」になる。


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(前熊の山車はどこから来たのか不明であるが、それでも名古屋の古い形の山車であり、価値は高い。)だがしっくりこない。伊勢門水の「愛知郡の某村」がどこにあたるのか?色々仮説を立てて検証したが、もっともな答えは見つからず、また仮に、戦前まで在ったとしても、戦災で焼失した可能性は高い。
 東照宮祭の山車は全て戦災で焼失し、「東照宮系の山車」現在この流れをひくのは筒井町「湯取神子車」一輌のみ。(東照宮祭系の山車との疑いがあるのは、他に 静岡県 浜北市 宮口にある「二福神車」)兄弟車を探してやらぬと寂しかろうと思い、色々探したが、結局 諦めた。また、「名古屋祭」の石橋車の所に


此車創立の時「新車」と云う曲を作り之れを賓永歌と唱えて琴三味線を入れて唄ひしと云う。

筒井町「湯取神子車」にも「しんぐるま」という曲が伝わっている。ただ三味線は入らない。戦前も入っていた形跡もなく、途中で三味線が無くなったとも考えにくい。元々無かったのだろう。それでも「石橋車」の新車と筒井 湯取車のしんぐるま(進車)は全くの別物なのか?断定も出来ない。中市場町の「石橋車」捜索打ち切りとなったが、歯がゆい思いもある。ううむ…