お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

活動拠点をやいと屋知足斎の日記に移しました

名古屋発「その時 歴史が動きそうになった 堀江氏、中日ドラゴンズ、乾坤一擲の大勝負!!」

2004年11月03日 02時36分27秒 | Weblog
アキです、こんにちは。今回は特別編です。
プロ野球、新規参入「楽天」に軍配が上がりましたか…


 極論を言えば、私にはどちらでも良い事?です。
私は、どちらのユーザーでもないし~
楽天になっても、私にボーナスくれるわけではないし~
ライブドアが勝っても、私には特典ないし~ 
 パリーグだから対岸の火事だし~

(アキという人は、人格者ではないな…自分でそう思います)

 それでも、私と堀江 貴文氏とは、間接的とはいえ「接点」がありますので
少し、お話しようと思います。

 過去の日記でもお話しましたが、私は10月24日(日)
「007名古屋商法1周年記念祭」に出席しました。
ゲストは、ライブドアの堀江社長

「007名古屋商法1周年記念祭」の申し込みが始まったのは、
9月9日です。この時点で、既に記念祭に堀江社長が来られる事は公表されていました。
名古屋商法事務局と堀江氏とは、少なくとも8月頃には、打ち合わせが
あったと思います。

 10月24日は、何の日だったか?

そう、中日ドラゴンズが、日本一に王手をかけて、名古屋ドームに帰ってきた時です。

この日、中日ドラゴンズが名古屋で、日本一になる可能性があった。

その時に、堀江社長は、名古屋にいたのです。

8月頃、逆算すれば、中日が日本シリーズに出る事は予測できたかもしれない。
予測していた?それとも、偶然?
どちらにしろ、10月24日、中日が王手をかけた時に名古屋にいた、
オーナーに、ものすごいアピールになりますよね。


 それに、結果として堀江社長は、名古屋まで来て「中日ドラゴンズの日本一を応援していた」
事になる。

 堀江社長は本心としては、「西部ライオンズを応援しに来ていた?」としても、
この時点では、西部は逆王手をかけていないので、西部の日本一は、この日には決まらない。

中日ドラゴンズが、悲願の50年ぶりの日本一を賭けた、10月24日
堀江 貴文 社長は、名古屋にいてくれた。

本心は、ご挨拶?オーナーへのアピール?としても
名古屋で、名古屋の中日ファンといた事は、重大な意味を持つかもしれません。

 わたくし、名古屋の人間(中日ドラゴンズファン)としては、純粋に敬意を表し、
堀江社長にお礼を言わなければなりませんね。

「堀江様、ありがとうございます」
ちなみに、堀江社長は「007名古屋商法記念祭」2次会に参加して、
5時半から6時頃まで、わたくし達と一緒にいました。その後、何処かへ行かれました。

 参加者の中では、「今から、中日ビルか、何処かのホテルに行って、
中部財界の人と応援しているのでは?」「中日ドラゴンズのオーナーと日本一の
祝賀パーテイに参加する予定では?」

といった、憶測が飛び交いました。
(純粋に、明日の仕事の為に、東京に帰っただけかもしれませんが…)


 偶然?必然?絶妙のタイミングの良さ

 経営者としても、群を抜いているのでは、ないでしょうか?

 いや、はるかに凌ぐかもしれません。

 (あくまで、結果論ですが、この日の中日先発は「山本昌」中日としては、
日本一になる確率はものすごく高かった。
中日が勝っていたら何と!祝賀パーテイには、偶然?居合わせた、
堀江社長が、飛び入り参加!!)

「堀江社長って以外に?野球好きなんだ、ビジネスとして割り切っているだけじゃ
ないんだな…」

 と世論も味方になり?中日オーナーに仁義?を通したことになり、

結果、ライブドアのプロ野球新規参入が認められていたかもしれません。

 歴史に「もし」があれば、10月24日、中日が悲願の日本一になっていれば
歴史が変わっていたかもしれません。
落合氏も、堀江氏も大手、一歩手前までいたのです。

 ですが、山本昌投手で勝てなかった時点で、私は中日の日本一は無い、と覚悟していました。
山本昌投手を出して勝てなかったので、私としては、潔く諦めもつきます。

 名古屋って「その時 歴史が動いた」というより「その時 歴史が動きそうになった」
が多いな…

 戦国時代は、別ですけれどもね~


 雑学ネタですが、名古屋球場10・6決戦、中日と巨人が前代未聞の同一
一位、勝った方がセリーグの制覇する、至上稀に見る大決戦!!

 この日、「司馬遼太郎」さんが、名古屋に偶然?いたらしい。
(街道を行くの取材中だったのかな?)
中日が優勝すると、祝賀パーテイに特別ゲストに呼ばれる予定だったと
どこかで、見たことがあるぞ…

 まだウラが取れぬ話ですが、こちらも、面白い逸話ですね。

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