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ほっとかれママ ☆ Ready, steady, smile !

仕事人間の主人にも 大事に育てた息子たちにもほっとかれ。。。それでもめげない元気ママがある日突然、白血病に。

インフルエンザB型でダウンの1週間 (-_-;)

2017-12-13 | 病気
先週水曜日から咳が出始め
木曜日の朝、悪寒がして熱を計ると38.7度。

そういえば・・・
日曜日に来た孫っち太郎が咳き込んで
寒いって言ってたこと思い出し
孫っちママに聞いてみたら

な・ん・と

孫っち太郎はインフルエンザB型で
あれから学校休んでいるとの事。
妹も同じく感染して休んでるとの事。

エライコッチャ!!!

孫っちママがすぐに私を病院に連れて行ってくれました。

ナンテコッタ〜〜〜

私もしっかりもらってました。

。・°°・(>_<)・°°・。



<以下、忘備録>

木曜日午前中、医者へ。ラピアクタ点滴。栄養点滴。
夕方から熱。39度台。カロナール2回。
(主人仕事→夜会合→酒宴)

金曜日1日中熱。39度台。カロナール3回。
頭痛、吐き気、嘔吐、腰痛。
(主人仕事→夜会合→酒宴)

土曜日朝、38度台に。カロナール1回。

日曜日朝、37度台まで下がる。少しずつ食欲も出る。
夜寝てから、両鼻が同時に詰まり何度も鼻を温めに起きる。口呼吸だけでは苦して眠れない。
布団に潜っていたら温まったのか鼻が通るようになり眠剤を飲んですぐ寝る。

月曜日朝、動くと咳混むようになり
36.9度〜37.2度あたりを行ったり来たり



火曜日、相変わらず微熱と咳と鼻詰まり。
そして今日水曜日〜〜〜♪ やっと平熱に。
今、耳鼻科で咳止めと点鼻薬処方してもらいました。



11月初めに予防接種を受けたので
普通は軽く済むっていいますが
いゃ〜、結構しつこかったです

なんで私にはイナビル処方してもらえなかったのかな?
きっと体力がないからかな?

イナビルは即効性があるらしいですが、
それでみんな治った気になって外出するから
感染が拡がりやすいとも言われています。
みなさまもお気をつけ下さいね。




リハビリウォーキング

2017-10-03 | 病気
この3週間
最初は痛みで動くこともままならなかったけど
薬で痛みがコントロールできるようになってからは
家の中を歩いたり
自己流のリハビリ体操(足の筋肉や指先を動かそうとする)
をひたすら繰り返していました。

  

日曜日、久しぶりに公園で歩きたいと
主人に庄内緑地公園に連れて行ってもらいました。
助手席で固定されると痛みが走るので
後部座席で背にクッションを当てて
前体重で座ると大丈夫でした。

今度の週末からコスモス祭りが始まるそうで
いろんなコスモスが見られます。



貝殻のように花びらが筒状になっている
seashellというコスモス
初めて見ました

お花に気を取られていると痛みも忘れるのかな。
ちょっと歩いては腰かけ、また歩くの繰り返しで
1時間程リハビリウォーキングをして帰ってきました。

  

お花見の後はお団子ですね。
帰り道、星乃珈琲でお茶しました。



ここならではの背高パンケーキ
お腹の方は元気なのですが
主人と半ぶっこにしておきました。







椎間板ヘルニアからの坐骨神経痛

2017-09-27 | 病気
神様って
チョット意地悪じぁないかと思ってしまう・・・

あと3日で骨髄移植から祝10年 🎉という
9月8日の真夜中の3時。
突然、股関節から足先まで鋭い痛みが襲う。
ベッドから起きて立ち上がろうにも
股関節が痛くて立てなくなってしまった

とりあえず、痛み止めのロキソニンと
眠剤を飲んだけど
下肢の焼けるような痛みには効かず
朝まで眠れず。

9月9日
近くの整形外科病院へ (土曜日で臨時の若い医師)
股関節が痛いと言ったら
股関節のMRIを撮ることに。

結果「特に異常はないです。」
こんなに痛いのに、眠れないのに
やはりロキソニンとロキソニンテープのみなんて
耐えられない!
いったい、整形外科の医師ってなんなの?
いつだって鎮痛剤とテープのみ

足先まで痺れていて足の指にも力が入らないし
ふくらはぎの外側の神経痛はロキソニンでは効かない。
痛い! 痛い! 痛いよ〜〜〜

9月13日
別の医師に診断を仰ぐ。
神経痛に効くという鎮痛剤を処方してもらう。

あまり変わらず・・・

9月20日
再度、受診。

腰のMRIが撮ってなかったのでお願いする。

結果「巨大ヘルニアがあります。
ヘルニアからの坐骨神経痛に間違いないですね。」


薬が増量されて、やっと夜眠れるようになりました
下肢の神経痛もやわらいできた感じ。

薬で痛みを抑えていますが
巨大ヘルニアって言われて
腰に自爆装置を付けているみたいです

落ち込んでいたら・・・
お昼に食べたお箸の袋におみくじが付いていました。



これは神様のせめてもの慰めなのかな?









骨髄移植から10年に思うこと③ 〜感謝〜

2017-09-14 | 病気
移植についての思いは
毎年9月11日に綴ってきました。
ただ具体的なことは書いていません。
なぜならその辛さは人それぞれ違うし
どんな言葉を並べても伝わらないと思うからです。

言えることはただひとつ。
自分ひとりでは
決して乗り越えられなかったということです。

夫は仕事帰りに食事も取らずに
毎日病室に寄ってくれました。
それまで、ず〜〜〜〜〜っと
ほっとかれてたのに
皆勤賞でしたね (笑)



夫はどこまでも「ノー天気な人」です。
私の病気に関しても
どこまで理解していたかわかりません。

「気の利かない人」です。
一度だって「大丈夫?」などと
優しい言葉を掛けてくれたこともありません。

病気になるとその辛さをわかって欲しいのに
一番身近な夫がわかってくれない。
その「鈍さ」に苛立ちをぶつけ
険悪になったことも数知れません。

ところがその「鈍さ」が逆に私の心配や不安を緩和して
救われたのかなと思うことも多々ありました。

夫には反省と感謝の気持ちでいっぱいです



10年経った今でも夫は仕事第一。
今思うとあの入院していた1年間が
一番私に寄り添ってくれた貴重な時間だったと思います。







骨髄移植から10年に思うこと② 〜家族〜

2017-09-13 | 病気
10年経った今もあの瞬間を思い出します。



骨髄移植を決断したとは言え
まずは骨髄バンクに登録して
ドナーを探し、同意を得られなければ
移植に至ることはできません。
それまで延々と化学療法が繰り返されます。

その治療が始まる前
薬学を勉強中であった次男が
「こんな新しい治療法をみつけましたが」と
医師に尋ねたところ
「今、まさにやろうとしている治療法なんですよ」と言われたことを話してくれました。

次男なりに調べてくれていたんですね。
ナイスヒットでした



こんなこともありました。

ドナー登録から半年、ドナーさんが見つかり
いよいよ骨髄移植に向けての
最終最強とも言える前処置化学療法に向けて
家族全員が呼ばれたときのことです。

従来どおりの方法か
現在臨床研究段階の新しい方法か
ここでもまた、むずかしい決断を迫られました。

またまた、自分ではどうしていいかわからない状態です。

その時は長男が口火を切りました。
「たとえ、結果が良くても悪くても
新しい治療法でやって結果を出した方が
後に続く人のためになると思うよ」と。

なるほど〜とチョット笑っちゃいました。
長男らしいナイスアシストでした

そんなこんながあり家族に支えられて
やっと移植にこぎつけたのです。



あの時の息子たちの言葉も
きっと一生忘れられないでしょう。








骨髄移植から10年に思うこと① 〜決断〜

2017-09-11 | 病気
2017年9月11日で丸10年になりました。
長いようでアッという間でした。
10年目の思いを書いておこうと思います。
病気の話ですので、スルーしていただいて結構です。



10年前
病名を告知された時
治療法を聞いた時
この病気がいかに難しいものか
愕然としたことを覚えています。

以下が医師からの説明でした。

「治療法は2つあって
ひとつは化学療法だけを2年間続ける方法。
しかし、これだと限界があります。

もうひとつは骨髄移植。
究極の化学療法と言われ、移植後には感染症、合併症、関連死など、など
やってみないと何が起こるかわからない難しい治療です。
良い結果を出すかも知れないが、逆に短命になる可能性もあって、やらなければ良かったと思うかもしれません。」


こう説明されて「どうしますか?」と
私に選択を委ねられたのです。

治療方針は医師が決めるものと思っていたので
急にそんな諸刃の刃のような厳しい決断を迫られても
知識や情報がないのと、恐怖で
頭が真っ白で何も考えられなくて
どうしたらいいのかわからなくて
涙ばかりが溢れました。

私の命に関わるそんな重大なことなのに
それ故に
家族みんなも口を閉ざして何も言えなくなっていました。

「私が一か八か決めなくてはいけないんだね。」
と家族にボソッと言った時でした。
父だけが「一か八かならやった方がいい。
治る可能性が少しでもあるんだから。」

と言ってくれました。

あの時の父の一言で、私の気持ちは
少しずつ移植の方へ向いて行きました。

担当医に気持ちを伝えると
先生も小さな声で
「僕もやった方がいいと思う」と言われました。

その言葉に背中を押され、私はやっと
骨髄移植を現実のものとして
向かい合うことができるようになりました。



もし、あの時父のひと言がなかったら・・・
と10年経った今思うのです。



これはあくまで10年(ひと昔)前の話です。
現在はいろいろな選択肢がありますし、
治療法も進んでいると思います。








ハワイのお土産

2017-08-20 | 病気
10年前
私と同じ病室で一緒に病気と闘い
私の移植日からちょうど1年後の同じ日に
お母様から骨髄をもらって移植したEちゃん。

お隣の県なのでなかなか会うこともできず
メールだけのやり取りなのだけど

この夏
お母様とハワイでロングステイされたとかで
お土産を送っていただきました。



私がフラをしていることを知っているので
本場のフラの写真やビーチの写真も一緒に。



そんなに元気になって本当によかったね。
あの時はみんな抗がん剤治療で食事が摂れなくて
お菓子で命繋いでいたよね。

そんな辛い思いをしてたけど
顔を合わせばみんな笑っていたよね。
私は本当に同室のみんなに救われました。
Eちゃんもそのひとり。

これからも体をいたわって
1日1日を大切に生きて行きましょうね。
ありがとう




病院の先生(Dr.)の現実は・・・

2017-06-30 | 病気
病院の待ち時間
携帯の画像編集アプリで遊んでました(笑)



水曜日の午後の先生に
たくさんお話ししました。

先生も1番最後に再度、時間を割いて
たくさんお話ししてくださいました。
いろいろな選択肢があることを聞いて
モヤモヤと胸に溜まっていたものが消えていきました。

けど、病院の先生たちは外来と病棟を
掛け持ちでやっているので目が回るほど忙しく
どの外来も1人5分のペースが現状なのだとか。

だとしたら、私、この10年間
S先生になんて非常識なことしてたんだろう。
10分〜15分と私の話を聞いて下さった
先生に心から感謝です。

残念なことに
病んでいるのは患者ばかりではではなく
病院の先生たちも病んでいるのではと思える現実が
垣間見えました。

アメリカでは医師はもっと患者と向かい合い
ゆっくりと話を聞くそうです。
患者はだれも医師と話し合い安心をもらって
帰りたいものです。
日本の医療の現場は過酷で深刻ですね。




麻央さんのブログにありがとう。

2017-06-23 | 病気
麻央さん
20日までブログ更新されていたので
信じられません。

乳がんでなくても
私のように病気持ちの人は
みな、麻央さんのブログに
逆に励まされていたと思います。

母親のような年の私なのに
娘のような若い麻央さんに
励まされていました。

決して弱音を吐かない
悲観しない
「生きる」
なんて強い人なんだろうって。

最後はご家族に看取られて
旅立たれたとのこと
お幸せだったと思います。

もう、ブログで会えないと思うと
本当にさみしいです。

ここには私が励まされたコトバがあります。


彼女のコトバのひとつ、ひとつが
私の中にあります。

素晴らしいブログでした。
最後まで美しい人でした。

ありがとうございました。




こんなDr. は願い下げ申し上げます。

2017-06-08 | 病気
昨日は2ヶ月に一度の外来日でした。
命を繋ぐために
何万円というお薬をもらいに行かなければなりません。
担当医が変わって3回目の受診です。

昨日は病院としては非常に混んでいて
採血の順番だけで1時間待ちでしたが
血液内科としてはいつもどおりの混みようで
予約時間より1時間遅れ。
まだ、いい方かなというくらいでした。

ところが、名前を呼ばれて診察室に入るやいなや

Dr. : 今日は混んでいて時間も押しているので
必要最小限の事だけ言ってください。


(エッ!必要最小限ってナニ・・・ )

この2ヶ月いろいろありましたし、お聞きしたいこともあります。
最近めまいがよくおこるのですが・・・


Dr. : めまいは耳鼻科です!耳鼻科へ行ってください。


(どんなめまいか話を聞いて欲しいのに・・・ )

貧血を改善したいので、鉄分を摂ってもいいですか?

Dr. : 鉄分は過剰にあります。
この貧血はどうにかなるものではありません。
病気と薬のせいです。


(この前の検査では過剰でなく正常値だったから聞いたのに・・・

首のグリグリも気になるので
外来の度にチェックしていただきたいのですが・・・


Dr. : 私がいったい何人の患者を診てると思ってるんですか ‼︎
2ヶ月に1回診たって覚えてませんよ!
毎日、自分でチェックしてください!
大きくなったと思ったら言ってください!


(私だって、当然毎日チェックしてますヨ。
不安もあるので先生にも診てほしかっただけなのに・・・ )


Dr のイライラ度が明らかにマックスになってきたので
もう聞きたい事も押し留めました。

いつもの、下まぶたや口内チェック、
心音や血中酸素のチェックもなし。
私の表情さえ見ることはありませんでした。

そして私、ついに勇気を出して申し上げました。

「この時間、とっても混むようなので
次回から午後の〇〇先生にお願いします」


  

この10年間、何人かの先生に診ていただきましたが
どの先生も神対応で
私は本当に恵まれているなと思ってきました。

このように患者と向き合おうとしない先生は初めてです。
威圧感があってそれ以上何も言えなくなります。

まだ、ロボット相手の方がマシかも。
ロボットなら患者1人1人を認識してくれるから。

若くて優秀な先生かも知れないけど
この先生は自分の患者を覚える気がないのだと
わかったので、こちらから願い下げ申し上げます。

また、どんな形でお世話になるかはわかりませんが
その時はその時。
次回からは
午後の先生にゆっくり話を聞いてもらいたいです。



庭に咲く我が家のもう一つの紫陽花。
雨に打たれて悲しく見えました。