
幕張新都心イオンモールの
フードコートで、週末になると一際行列が目立つ店が、あります。

店の名前は、麺屋心。

つけ麺と、フジヤマが有名なようです。

列に並びながら、
ちょうちんを見ながら、
どちらを食べようかと、思いを巡らせます。

で、フジヤマ味玉付を選択。
もやしが、シャリシャリしていて、いい感じです。
チャーシューで、もやしと麺を包んで食べると、
ちょっと贅沢な気分。
フードコートにいつも行列ができるのも
わかる気がします。
OVER

手術室では、人工呼吸器のボォーンという音と、
生体モニターのピコッピコッという音が、周期的に響いていた、
親父の手を握ると温かかった。
少し、握り返して来たような感じもした。
医師の説明では、心拍数はあるもの、
心臓は組織としては止まっていて、
人工呼吸器によって、動いており
細胞がわずかに微動している状態だと説明があった。
時々、生体モニターの心拍数が「0」になって、
警報アラームが鳴りいよいよかと思うシーンがあったが、
再び、何も無かったかのように心拍数が上がってくる。
そんな事が繰り返えされた。
よく、テレビドラマで心拍数が0になって、
人が死ぬシーンがあるが、あれは嘘で、
心拍数が0になっても、その状態が15分ほど続き、
体の各細胞が反応しなくなるまで、人の死を確認することはできない、とう事を知った。
実際、親父も5回くらい、心拍数が0になった後に、
心拍数が上がってくる問い事を繰り返した。
俺はまだ生きてるぞ。元気だせ。
そんな、親父の声が聞こえるような気がした。
おかげで、この時間は、親父とお袋と、
ゆっくりと過ごすことができた。
そんな時間が2時間くらい続いただろうか?
親父の心拍数もとうとう戻らなくなった。
医師が、心臓の音や、瞳孔の反応が無いのを確認した。
11月12日 12時12分
「ご臨終です。」と医師から告げられた。
それでも、なお、親父の体は温かかった。
生体モニターのピコッピコッという音が、周期的に響いていた、
親父の手を握ると温かかった。
少し、握り返して来たような感じもした。
医師の説明では、心拍数はあるもの、
心臓は組織としては止まっていて、
人工呼吸器によって、動いており
細胞がわずかに微動している状態だと説明があった。
時々、生体モニターの心拍数が「0」になって、
警報アラームが鳴りいよいよかと思うシーンがあったが、
再び、何も無かったかのように心拍数が上がってくる。
そんな事が繰り返えされた。
よく、テレビドラマで心拍数が0になって、
人が死ぬシーンがあるが、あれは嘘で、
心拍数が0になっても、その状態が15分ほど続き、
体の各細胞が反応しなくなるまで、人の死を確認することはできない、とう事を知った。
実際、親父も5回くらい、心拍数が0になった後に、
心拍数が上がってくる問い事を繰り返した。
俺はまだ生きてるぞ。元気だせ。
そんな、親父の声が聞こえるような気がした。
おかげで、この時間は、親父とお袋と、
ゆっくりと過ごすことができた。
そんな時間が2時間くらい続いただろうか?
親父の心拍数もとうとう戻らなくなった。
医師が、心臓の音や、瞳孔の反応が無いのを確認した。
11月12日 12時12分
「ご臨終です。」と医師から告げられた。
それでも、なお、親父の体は温かかった。
受付を終えて、待合室で待っていると、
取調室のような、小さな部屋に医師に呼ばれた。
以前、親父が徘徊して警察署で相談したときも、
こんな、テーブル1個とイスが4個くらいしかない、密室だった。
医師からは、心臓にある3本の大きな血管の内、
1本が詰まっているので、血管を拡げる緊急手術が必要だが、
父が高齢なこと、血流を良くする薬を飲んでいることなど
リスクが大きいことが伝えられ、手術をするかどうかの判断を問われた。
できるだけのことをお願いします。
そう言った時に看護婦が入ってきた。
看護婦の報告を受け、医師の顔が厳しくなった。
「お父さんの心臓は、今、止まっています。」
部屋の空気が完全に凍りついた。
何も、言葉が出てこなかった。
それから、どれだけの時が流れたのか?
医師から、どんな話をしてもらったのか?
今は、はっきり覚えていない。放心状態だったのか?
再び、看護婦が入ってくる。
「お父さんの心臓が、マッサージで再び動き始めました。」
しかし、医師の厳しい顔は変わらなく、
「数分、脳に血が流れなくなると脳が死んでしまいます。」
「命を繋いでも、植物人間になってしまう可能性が非常に高い。」
「もう、もとの生活には戻れません。」
状況は、厳しさを増していた。
この状態でも、リスクの大きな手術をするか?
残り少ない時間を、ゆっくり過ごすか?
手術をしている途中で、死に至る可能性が高いことも伝えれられた。
医師から選択を迫られる、厳しい選択。
お袋と話をして、親父との残り少ない時間を過ごす選択をする。
辛い選択だった…。
取調室のような、小さな部屋に医師に呼ばれた。
以前、親父が徘徊して警察署で相談したときも、
こんな、テーブル1個とイスが4個くらいしかない、密室だった。
医師からは、心臓にある3本の大きな血管の内、
1本が詰まっているので、血管を拡げる緊急手術が必要だが、
父が高齢なこと、血流を良くする薬を飲んでいることなど
リスクが大きいことが伝えられ、手術をするかどうかの判断を問われた。
できるだけのことをお願いします。
そう言った時に看護婦が入ってきた。
看護婦の報告を受け、医師の顔が厳しくなった。
「お父さんの心臓は、今、止まっています。」
部屋の空気が完全に凍りついた。
何も、言葉が出てこなかった。
それから、どれだけの時が流れたのか?
医師から、どんな話をしてもらったのか?
今は、はっきり覚えていない。放心状態だったのか?
再び、看護婦が入ってくる。
「お父さんの心臓が、マッサージで再び動き始めました。」
しかし、医師の厳しい顔は変わらなく、
「数分、脳に血が流れなくなると脳が死んでしまいます。」
「命を繋いでも、植物人間になってしまう可能性が非常に高い。」
「もう、もとの生活には戻れません。」
状況は、厳しさを増していた。
この状態でも、リスクの大きな手術をするか?
残り少ない時間を、ゆっくり過ごすか?
手術をしている途中で、死に至る可能性が高いことも伝えれられた。
医師から選択を迫られる、厳しい選択。
お袋と話をして、親父との残り少ない時間を過ごす選択をする。
辛い選択だった…。
1ヶ月ほど前、おやじが静かに息を引き取った。
享年92歳。親父との別れと、その後に色々と起こった、出来事を少しだけ語ろうと思う。
死を迎えた前の日は親父の92歳の誕生日だった。
ケーキを買って実家へ行ったのだが、 親父はずっと寝ていて
「ケーキだよ食べる」と聞いても、眠いといってなかなか起き上がっては来なかった。
いつもは、ケーキなどペロリと食べてしまうのに、この日は元気なく、ケーキも一口しか食べなかった。
すっかりふけたな?今晩大丈夫かな?もしかしたら、もう会えないかも…。
帰り道では、そんな嫌な事を考えてしまったた。
その翌朝、携帯電話が鳴った「お父さんが、起き上がれず、脈も取れないので救急車を呼びました」
いつもお世話になっているケアサービスの方からの電話だった。
急いで、実家に向かうとちょうど家を出て行く、救急車に飛び乗ることができた。
救急車に乗ると、心配そうに親父を見守るお袋の前で、酸素マスクをつけた親父がいた。
「大丈夫?」と聞くと、「あー」という短い返事が返ってきた。
救急隊からは、血圧が低く危篤の手前の状態だと説明を受けた。
今飲んでいる薬とか、かかり付けの医者の連絡先とか、最近の検査結果や親父の様子を聞かれた。
薬手帳や最新の健康診断の結果を、健康保険書と一緒に、すぐに持ち出せるようにしておくことで、
緊急時の医師の対応や判断の幅が広がると痛感した。
病院に着くと、親父の様態が厳しい事を裏づけるかのように、
10人近いスタッフが救急車の到着を待ち構えていた。
親父のオペが、すぐに始まった。
享年92歳。親父との別れと、その後に色々と起こった、出来事を少しだけ語ろうと思う。
死を迎えた前の日は親父の92歳の誕生日だった。
ケーキを買って実家へ行ったのだが、 親父はずっと寝ていて
「ケーキだよ食べる」と聞いても、眠いといってなかなか起き上がっては来なかった。
いつもは、ケーキなどペロリと食べてしまうのに、この日は元気なく、ケーキも一口しか食べなかった。
すっかりふけたな?今晩大丈夫かな?もしかしたら、もう会えないかも…。
帰り道では、そんな嫌な事を考えてしまったた。
その翌朝、携帯電話が鳴った「お父さんが、起き上がれず、脈も取れないので救急車を呼びました」
いつもお世話になっているケアサービスの方からの電話だった。
急いで、実家に向かうとちょうど家を出て行く、救急車に飛び乗ることができた。
救急車に乗ると、心配そうに親父を見守るお袋の前で、酸素マスクをつけた親父がいた。
「大丈夫?」と聞くと、「あー」という短い返事が返ってきた。
救急隊からは、血圧が低く危篤の手前の状態だと説明を受けた。
今飲んでいる薬とか、かかり付けの医者の連絡先とか、最近の検査結果や親父の様子を聞かれた。
薬手帳や最新の健康診断の結果を、健康保険書と一緒に、すぐに持ち出せるようにしておくことで、
緊急時の医師の対応や判断の幅が広がると痛感した。
病院に着くと、親父の様態が厳しい事を裏づけるかのように、
10人近いスタッフが救急車の到着を待ち構えていた。
親父のオペが、すぐに始まった。

赤坂見附からは、6つ目の銀座線に乗車です。
最近はすっかり数が減って来た、01系。

一部は熊本電鉄に渡って、
東急5000系の後継者として活躍しています。

表参道で、半蔵門線に乗り換えたのですが、
おもろいこと発見。

銀座線から半蔵門線に向かって、
プラットホームが大きく傾いています。
知らなかったなぁ。

7つ目の半蔵門線は、目つきの悪い08系。

押上での待ち時間、線路の先を見ると、
大きくカーブして、どこかへ向かっているよう。
ネットで調べたら、行き先は四つ木、亀有経由で野田らしい。

押上げからは、田玉線の代名詞東急8500系に乗ります。

北千住の乗換通路には
スカイツリーが並んでいました。

北千住からは、8つ目の千代田線に乗車。

隣の綾瀬で、0番線の北綾瀬行きに乗り換えます。

この路線は、3両編成の電車が行ったり来たり。
東京メトロで最もローカルな線ではないでしょうか?

そんな、北綾瀬駅も10両化の工事が始まりました。
数年後には、3両編成の千代田線は見れなくなってしまうのか?
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今日は、東京メトロからプレゼントされた、
1日乗車券があったので、
東京メトロ乗りまわしの旅へ行ってまいりました。
まず、浦安までは15000系。

後続の快速は、東葉高速鉄道の2000系。
この電車で、飯田橋まで行きました。

ここは南北線飯田橋駅の端っこ。
問題です。この扉の向こうには何があるでしょうか?

正解は、将来駅のホーム。
南北線が8両編成になった時にホームになります。

で、2つ目の南北線に乗ったのですが、
ホームドアがあるため、幽霊のような写真に…。

南北線を永田町で降り、
動く歩道を通って、有楽町線のホームへ。

有楽町線のホームへ行く途中には、駅ナカがあります。
駅ナカはおしゃれな店があり、

イートインスペースには、Wifiやコンセントもあるので、
とても便利です。

永田町からは、3つ目の有楽町線に乗車。

小竹向原駅で、4つ目の副都心線に乗り変え、

新宿三丁目で、一休み。
ここでは、桂花ラーメンを頂きました。

再び、地下に戻り5つ目の丸の内線で、赤坂見附へ

赤坂見附では、不思議な出口を見つけました。
地下3階の出口って、どこに繋がっているのだろう?
今日は、夜も更けてきたので、
続きはまた今度書きたいと思います。
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IMG_3779 posted by (C)adap
桂花ラーメンと言えば、ターロー麺が有名ですが、
なんとなくラーメンに980円を払う気になれず、

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ラーメンにキャベツとライスが付く
ランチを注文。

IMG_3780 posted by (C)adap
まずは、シャキシャキャベツとライスが出されます。

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追って、メインの桂花ラーメン到着。
今のラーメンブームのずっと前から
変わらぬ味。

IMG_3785 posted by (C)adap
キャベツと、桂花ラーメンのハーモニーも中々のものです。
〆は、スープにライスを浸して頂きます。
健康のため、ラーメンスープはドクターストップなのですが、
ついつい、すすってしまいます。
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