11月8日金曜日の夜、二俣川駅サンハートで橋本淳平くんのコンサートがあった。パーカッション分野で成長してゆく彼とサキソフォン、ピアノが加わった珍しい興味あるコンサートに出かけました。
サキソフォンとのジョイントで作ったサーカスのタイトルのついた曲を聞きながら、私は黒沢監督の「羅生門」の映画を思い浮かべていた。ああ、ここの淳平君のパーカッションは、人間のおろかさや醜さを皮肉っているのだなとか、これからの展開への期待と予兆をサキソフォンが見事?に(私の心のなかだけで)表現していた。ああ、広いステージでやつれたヒゲ親父(私)に秋吉久美子あたりが踊りだす!ああ、最高だな。
最後の曲は、「ミクロの決死圏」さながらに冒険物語のバックサウンドだあ。行き詰る冒険シーンにハラハラドキドキ。これにもハットをかぶったやつれたヒゲ親父(私)がありとあらゆる消化管の中でもがき苦しむ。肝臓あたりのC型肝炎ウイルスとのすさまじい戦いのシーンでは、うちの家族も27団も凍結。やがて広い膀胱に抜け出しゆっくりとカヌーにのって対外へ。いやあネバーエンディングストーリーが描けるなあ。ワイン飲みたくなったあ!
また一杯やりましょう!
そう、夢って無限なんだよ。
夢の夢の1億乗だってあるんだよ。
ひとつづつ、またひとつづつセッション!
音なんてとらえちゃだめだよ。
誰も本当の音なんかしらないんだから。
だって本にもあったよ。飛行機の飛ぶ理論って誰も説明つかないらしいよ。
私は演奏家だから、そこはわからない。
サーカスの音は無限だが、観客にサーカスのイメージを捉えてほしいと願うなら、むしろ表意文字みたいにピエロの格好して、まるでサーカスのイメージできないサウンドを求めるってのは、どう?
中世ヨーロッパのサーカス?都市の中でのサーカス?砂漠の中のサーカス?真夜中のサーカス?海の中のサーカス?宇宙区間のロケットサーカス?なんか表現してみたら?
たとえば
今、ある意味では戦争の時代の序盤だと思う。
この序盤の時代に戦争批判はとても意義あるものだ。
どうだろう?
軍隊のヘルメットをぶらさげてたたいてみたら?
ヘルメットの中に何かをつめて並べて置いてたたいてみたら?物質のイメージを観客に見せて自分のイメージする戦争とやらを創造してみる。
チャレンジの第1弾のステップ:戦いをやめる精神と題して‘ノーウォーウイル’(今私が考えた造語:No War Will)戦争は進んで嫌!という意味
皆でヘルメットや飯盒、拳銃、軍靴、缶詰などをたたいて見せる。
ストリートミュージシャンでもやってみる。
たとえば
江ノ島か材木座海岸なんかにころがる石を集めてきて
‘湘南’というサウンドを表現してみる。
たとえば
おじいさんのかっこうをして
キセルをたたいてみる。杖をたたいてみる。
たたきながら君の心の奥にある老人への感謝やねぎらいを表現してみる。
たとえば
横浜から地方を表現してみる。
テーマは‘ふるさと’で‘Gifu’‘Kohriyama’とか君の知ってるふるさとをたたいて表現する。
ちなみに私の音楽体験は、
小学時代の低学年では、毎日なぜか浪曲を聞き、
高学年で、姉の影響で英米のポピュラーで育ち、
中学でグループサウンド、フォークソングに囲まれ
高校時代にモダンフォークでバンドを組んで
大学時代にジャズにおぼれて酒びたり。
結婚してクラシック、オペラと流れてきた。
いつか音めぐり談義しようよ。もち、赤ワインは必修科目だよ。
メッセージ性、というものに重きを置いた事ってあんまりないですけど、これからそういうことが自分の中に溢れてくる可能性はなきにしもあらずです。
今はとりあえず自分の今までやってきた事の発表的要素が非常に強いため、それが本当に音楽であるかさえも定かではありません。
僕は芸術家ではないので、世間一般の人が理解しがたい音楽をすることはなるべく避けたいと思ってるんですね。
ぜひいつか談義しましょう、赤ワイン…は素人です。