OH江戸ライフ

パクス・トクガワーナ♪
とりあえず江戸時代っぽいものが好きなのです♡

4月17日

2015-06-03 | 江戸時代


旧暦4月17日は徳川家康の命日です。
とくに今年2015年は400回忌だそうで、先日の「大関ヶ原展」もその記念イベントのひとつでした。
東都歳事記にも、4月17日の記事があります。
「十七日 ○野州日光山御祭礼の日なり。諸侯、紅葉山東叡山御宮へ御参詣あり。
      諸寺社境内御宮、法楽あり。
      または御神影を拝せしむ(上野は庶人参詣を許されず)。
      ~中略~
      文化十あまり二年卯月十七日、浅草でらなりける神像をぬかづき奉りて
      ふたらやま二ももとせのめぐりこし御かげかしこみあふぐけふかも 県麿
     ○増上寺黒本尊開帳」

「日光山御祭礼」は日光東照宮でのイベント。
「紅葉山東叡山御宮」とは、江戸城内に造営された東照宮で解説によると、現在の川越東照宮社殿はこの紅葉山の本殿を、川越市氷川神社社殿は拝殿を移建したものなんだとか
そして、増上寺黒本尊は、増上寺さんのHPによりますと、
「安国殿安置の「黒本尊阿弥陀如来」さまは、かの徳川家康公の念持仏でありました。
 家康公出陣の際は、戦勝を祈願し共に戦場に赴いたと伝えられております。
 幾多の危難を逃れ家康公が勝利を得ることができたのも黒本尊さまの功徳の賜物でした。
 以後「勝運黒本尊」として徳川家のみならず人々の信仰を現在に至るまで集めてまいりました」
というありがたい像だとか。
その黒本尊は、今では年3回、1、5、9月の各15日に御開帳されるそうです。
(ぐえ、終わったばかりかい…
また、県麿とは斎藤県麿(さいとうあがたまろ・1772~1818)のことで、江戸時代中~後期の国学者。代々江戸神田雉子町の名主を務める斎藤家に生まれ、本名は幸孝(ゆきたか)。
父・長秋ののこした「江戸名所図会」の草稿に校訂をくわえ、江戸近郊部分を増補した人。
いつも参考にしているこの東都歳事記を出版した斎藤月岑のパパでもあります。
それにしても、今からちょうど200年前の文化12年(1815年)も家康の記念回忌的ムードがあったんですねぇ…しみじみ…


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