『天照大神』を雅子
『てんてるだいじん』と読んだそうな
(さすが、東大でもオックスフォードでも1個も単位を取れなかったのに、いまだに堂々と学歴詐称しつづける才媛はちがうぜ )
あー、さて、2日の記事で「パクリ元は中村正直氏」と書きましたが、某所で敬天愛人の起源については、水戸学が先ではないかとのアドバイスをいただき、ウィキさんを見たところ、たしかに「水戸学の思想元」と書かれていました
でもね! 国立公文書館の展示説明にそう書いてあったら、ふつー信じるよね
(……いや、言いわけはよそう )
で、あらためてウィキさんで、水戸学を調べてみると、
『水戸学』
江戸時代に日本の常陸国水戸藩(現在の茨城県北部)で形成された政治思想の学問。
儒学思想を中心に、国学・史学・神道を結合させたもの。
全国の藩校でも水戸学(水戸史学、水府学、天保学、正学、天朝正学ともいわれる)は教えられた。
その「愛民」「敬天愛人」といった思想は吉田松陰や西郷隆盛をはじめとした多くの幕末の志士等に多大な感化をもたらし、明治維新の原動力となった。
戦後は水戸学に基づく尊皇攘夷思想等が一定の批判を受けることがあるが、本来水戸学は非常に幅の広い学問体系を持っている。
徳川光圀の『大日本史』編纂のために集まった学者を中心としており、朱子学者が多かったが、あらゆる学派を網羅していた。
あー、ホントだー!
とはいうものの、某クソ大河の原作者M・Hさんは、鹿児島市でのトークショーで、
「『敬天愛人』という言葉が生まれた背景について、「沖永良部で愛加那との赤ん坊のことを思い出し、『死にたくない』と強く思ったのではないか」と持論を展開」
とか言っちゃってます
(鹿児島)大河の原作「西郷どん!」書いた林真理子氏講演 参照)
さらに言うと、この持論というものが、そもそも他人さまのパクリで、じつは「敬天愛人の思想が沖永良部で生まれた」説は、志學館大学教授兼鹿児島大学名誉教授・原口泉氏が提唱しているものだとか。
なんなんだよ、このパクリの連鎖はー!?
ひとつわかったことは、「水戸学なんてキライ」といって避けていると、今回のような陥穽におちいってしまうということですわい
でも、わざわざ『最上五郎』という名を出しているということは、なにか根拠となる資料があるはずだと思うんですが……
――――――――追記――――――――
……ということを、わが歩くヤフー知恵袋たる江戸系オブザーバー諸氏にブチブチつぶやいたところ、とんでもない情報がーっ!
この言葉は、1671年 清の康煕帝が「敬天愛人」という扁額を書いてキリスト教会に与えたことが起源で、このことが後年、宗教論争および中国国内におけるキリスト禁教問題を生じたそうな(典礼論争)。
で、中村はこちらを知って、使用したという説が存在することがわかりました。
たしかに個人的には、幕臣で昌平黌で佐藤一斎に学び、蘭語・英語も貪欲に習得した中村氏が、攘夷思想の水戸学に傾倒するかな~?という違和感があったので、康熙帝説のほうが納得できるような……。
となると、国立公文書館の説明が正しいことになりますです
じゃあ、水戸学はどこからアレを仕入れたんじゃ!?
時代的には、康煕帝の方が早そうですが、そもそもキリスト教関係の言葉を、江戸時代に簡単に取り入れるでしょうか?
中村氏の場合、1868年前後からの使用らしいので、それなら幕府の禁教令もほとんど有名無実化していたでしょうから、可能性は高いような気がします
となると、ウィキさんが間違ってる???
……水戸学、全く全然1ミリも興味ないから調べたくないな~